底抜け海部俊樹

 ちょっと前の話になるが、先々月の『開運!なんでも鑑定団 夏の2時間スペシャル』に海部俊樹元総理が登場していた。出演コーナーは有名人ご長寿鑑定大会で、持参したのはマイセンの女性像であった。

 番組中で海部はマイセンを手に入れた経緯を話しているのだが、これが中々ひどい。総理大臣在任時にベルリンを訪問した際、土産物としてマイセンの陶磁器を買おうとしたのだが、ベルリンの壁が崩壊した直後の混乱期でどこも売ってくれなかった。このため時の東ドイツ首相ハンス・モドロウに苦情を言ったところ、モドロウが謝罪し妻の実家に伝わるものだ、として贈ってくれたものだというのである。

199 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:04:37.07 id:U3CltR1z [8/31回発言]
首相が何してんだよw

200 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:04:37.34 id:OzhkTg8H [1/3回発言]
公私混同

201 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:04:38.91 ID:6etePwA5 [5/9回発言]
ええええええw

205 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:04:43.01 ID:96FWiruR [3/6回発言]
ええええ

208 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:04:47.77 id:T3L9+ApE [1/4回発言]
妻かわいそす……

211 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:04:49.68 id:jjC+252L [3/16回発言]
脅し取ったのかw

213 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:04:51.58 id:pHY0wcqp [3/11回発言]
ひでー

218 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:04:54.53 ID:9OUNsJvC [1/5回発言]
やめろよみっともない…

219 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:04:55.29 id:S0LW8ZI3 [6/19回発言]
えーやめろよ恥ずかしい奴だな

222 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:04:57.71 id:KLX+cX69 [2/3回発言]
いちゃもんじゃねーか

223 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:05:00.75 id:qNwYlNpN [4/8回発言]
くっそー流石だの
ムカつくw

225 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:05:03.06 id:U3CltR1z [9/31回発言]
東ドイツの首相良い人過ぎる

233 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:05:08.28 ID:/+4FWXAO [1/1回発言]
恥ずかしいなぁ

235 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:05:10.82 id:R8pskPrJ [3/5回発言]
妻、我慢させられたんじゃね?
当時は日本は重要な国だったってことなんだろうな(遠い目

237 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:05:13.18 ID:4FHlPwNe [1/2回発言]
今からでも返してこい!!!!

238 : ワールド名無しサテライト : 2012/08/28(火) 21:05:14.04 id:dd73eqZP [1/1回発言]
嫁の実家のものとか、それはあかんやろ・・・

 番組を見たときの自分の感想は上記の視聴者の実況ログをもって語らせたい*1

 この鑑定品、そこそこ良いものだったのだが、腑に落ちなかったのがこのエピソードの実際である。こんなひどいエピソードだから回想のたぐいのどこかで触れているだろうとチェックしてみると、海部はこの訪欧の際、モドロウに会ってないのである

 なお、このときの海部訪欧は、1990年1月8日から18日まで行なわれ、ボン、西ベルリン、ブリュッセル、パリ、ロンドン、ローマ、ワルシャワブダペストを歴訪するものだった。会談相手はコール、マルテンス(ベルギー首相)、ドロール、ミッテランサッチャーアンドレオッティ(イタリア首相)、ヨハネ・パウロ2世、マゾヴィエツキ(ポーランド首相)、ワレサ、ネーメト(ハンガリー首相)と錚々たるメンバーだった。またハンガリーでは学生相手の対話集会まで開催している*2

 前年1989年には東欧全域を民主化革命の波が覆い、11月にはベルリンの壁が崩壊、12月にはマルタ島でブッシュ、ゴルバチョフによる米ソ首脳会談が行なわれ、冷戦の終結が宣言されている。海部の訪欧はそういったヨーロッパの政治変動を現地で把握しようとするものであり、また全く変動に関与していない日本のプレゼンスを高めることを意図していた。同時に内政との関連でも、来たるべき1990年の第39回衆院総選挙に向けての海部内閣の実績PRという要素があった*3

 話を本筋に戻すが、上記のリストのとおりモドロウは会談相手に入っていない。海部自身の回想も引いてみよう。

ベルリンの事件は本当に象徴的であって、あの頃、東ドイツの総理大臣をやっておったハンス・モドローというのがおるんです。向こうに行ったら一回モドローに会って、「お前が言っていたことはだいぶ違っていたじゃないか。お気の毒様とは言うけれど、これからはどうするんだ」と聞いてみようと思って、ハンス・モドローにずいぶん連絡をとらせたんですが、日本の大使館を通じての返事は「モドローはそのときどこかに出張して出かけておるので、残念ながらあなたとお目にかかることはできんけれど、いろいろなことは聞いているので、またいずれ」というようなものだった。僕は壁の下でモドローと会って話ができたらいいと思った*4

 どうもさらに調べてみると、ベルリンで会談ができなかった代わりに、海部はモドロウと電話会談を行なってはいる*5。しかしながらこの会談日は欧州歴訪に出発する前の1月5日である。当時の報道によると、モドロウとは西ベルリン訪問時(1月9日)に東西ベルリン間で電話会談を行なう方向で調整していたが、経済相互援助会議(COMECON)の緊急会議が決まったことから、日程を前倒ししたらしい。要するに「土産物屋でマイセンを買えなかった」などと因縁をつけられるタイミングではないのだ。そしてこれ以降にモドロウと海部が会談をした形跡はない(モドロウは二か月後の3月18日、人民議会初の自由選挙で勝利したロタール・デ・メジエールに首相職を譲っている)。

 いよいよわけがわからなくなってくる。またそもそも論になってしまうが、日程表のとおり、このとき海部は西ベルリンしか訪問していない。これでマイセンが西ベルリンで買えなかったと東ドイツの首相に因縁をつけたというのなら、もはや非常識以外の何物でもない。

 ただモドロウと海部は以前から関係がなかったわけではなく、モドロウが日・東独友好議員連盟のドイツ側責任者であったことから、旧知の間柄ではあったらしい*6。ひょっとするとそうした繋がりもあり、モドロウと離職後にそういった話を冗談程度にしたのかもしれない。海部の記憶が混濁している可能性が高いが、いろいろとどうでもいいところで気になる部分の多いエピソードである。もしかするとモドロウの回顧録に何かのヒントがあるのかもしれないが、期待しないレベルで古本を購入してみようと思っている。

 それにしても今回このあまりにみみっちいエピソードをきっかけにして、『海部俊樹オーラルヒストリー(上・下)』(政策研究大学院大学、2005年)と『政治とカネ―海部俊樹回顧録』(新潮新書、2010年)を読んだのだが、その身もふたもなさにあっけにとられるような本である。両者の扱うエピソードはほぼ重なっており、いわば後者は前者のダイジェスト版という趣だが、人間関係についての証言の身も蓋もなさ、女性問題についての明け透けさは読み手を困惑させるものがある。

だから金丸さんは「あれ(橋本龍太郎:引用者補足)はこれが[右手の小指を立てる]あるから駄目だ」と言った。「ほんとうにあるんですか」と聞いたら「あるんだ」という。橋本自身も、河野(洋平:引用者補足)と僕とで飯を食ったときには、「残念ながら、おれにはあるんだ」と書う。まあ、僕らも知っておるから、「ああ、そうか」と言ったけれどね。同じことは河野にも書えるんです。河野にもあったんだ。だから下半身の話をすると、いろいろあるわな。というようなことだ*7

(首相時代は)「海部さんは一所懸命おやりになっているけれど、なにしろ高校野球の名ピッチャーですからね」と宮澤(喜一:引用者補足)さんに言われて笑われたんですから。経験がない、私[宮澤]のように。それが当時の活字で、一番印象に残ったいやな活字だ。もうこの宮澤という人は――、と思ったけれど。
 時がしばらく経ってから、あの人が「どうしてもアメリカに行って大統領に会いたいから、海部先生、会えるようにしてください」と宮邸まで来たので、その時はすぐにブッシュに電話を入れて「頼む、宮澤と会ってやってくれ」と言った。「トシキ、会ってやったほうがトシキのためになるのか」と言うから、「どっちでもいいですよ」というのがここ[喉元を指す]まで出て来たけれど、本音はそうだけれどな、向こうが断わってくれたらそれでいいんだけれど、そうもいかんから、「考えてちょうだい」と言ったら、 「細かい打ち合わせばスコークロフト(国家安全保障担当大統領補佐官:引用者補足)にやらせるから」という。それで今度はスコークロフトが連絡してきて、宮澤さんはまたおれを呼んで、それがいろいろなことを話すきっかけになったのかもしれんが、とにかく民社党やら野党の一部も連れて、翌年か何かにあの人はアメリカに行ったんだ。
 [宮澤氏が] 「外務省にやらせたけれど、どうしてもうまくいきません。どうしても時間がとれない。これは官邸に頼む以外にない。私一人なら、それは恥かきで済んでもいいですけれども、とにかく民社とか(あのときちょっと足りなかったですからね。国会運営のために必要だから)も連れて行きたいんですけれど」と言って、首を歪めて陳情に来られたので、ああ、この人、こうならばよろしい、と思った。
 その代わり、言いたかったけれど言わなかったけれど、「加藤紘一なんかをおだてて、裏でこそこそやられたらいけませんよ。やらんようにしてくれるなれば、行ってもらいますが」と言いたかったけれどね。そんなことを言うと、国の話をしておるのに私憤が出てはいかんと思ってやったんだけれどね。[宮澤氏がアメリカに]行ったら[大統領に]会えたんです。スコークロフトが会わせてくれた。そういうことがあったということです*8

(首相時代の政治改革について)だからいま、ちゃんちゃらおかしいのは、石破茂なんていうのも、当時は一年生か何かで、二年生ぐらいになっておったかな、抵抗勢力だよ…両議員総会でやられたんだからね。うん、石破に。『やるか、やらないかというのが大前提で、それではよく理解できない』なんていうことから始まって、ちょうど橋本龍太郎参議院選挙に負けたときと同じように、ねちっこ〜い理論を振りまいて、上目遣いでしゃべるんだな。ねちぃっとトリモチでくっついたように、ねばーっとくる。そして、人を内心小馬鹿にしてさ、こんなことがわからないんですか、というニュアンスを持ちながらしゃべるから。同じ派閥は親分に似るものだな、と思った*9

 その他にも「外務省は大舅みたいなやつばっかりだから(『海部俊樹オーラルヒストリー(下)』p.184、以下すべて同じ引用)」「僕はスピッツというあだ名を付けてやったけれど、商務長官(ママ)でキャンキャンとしゃべる女性がおったな。そう、ヒルズ(p.187)」「ヒルズなんかが腕まくりして来ておるから。あのスピッツが。スピッツと言ったら侮蔑語になるな(p.193)」などと言いたい放題が続く。

 この辺のあけすけさ、みみっちさ(特に宮澤に対するそれはヤバい)は「モドロウにマイセン買えないって文句言うたったwwwwwwwwwwww」と大差ないものを感じさせるし、確かにモドロウとそういったやりとりはあったのかもしれないという印象を強める。

 それにしても、海部の二つの回顧録の不思議さ、興味深さは、上記のように無茶苦茶な言いたい放題をしている一方で、これ以上隠していることは実際何もないのだろうな…と思わせてしまうところかもしれない。そのほとんどは弱小派閥の政治家による、劣等感、嫉妬、怨恨、そういったものばかりが無数に堆積した記録である。約半世紀にわたって国会議員を務め、内閣総理大臣まで務めながら、この人の人生とは何だったのか…という不思議な気持ちにさせられた。

政治とカネ―海部俊樹回顧録 (新潮新書)

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ドイツ、統一された祖国―旧東独首相モドロウ回想録 (叢書ベリタス)

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  • 作者: ハンスモドロウ,Hans Modrow,山本寿一,宮川彰,真道邦宏,沼尻勲
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*1:開運!なんでも鑑定団SP pert3 http://logsoku.com/thread/hayabusa2.2ch.net/livetx/1346154812/

*2:朝日新聞』1990年1月5日朝刊、1月8日朝刊

*3:前掲朝日新聞1月5日朝刊。歴訪の目玉はベルリンでの演説であった。東欧支援などを述べた演説現文はこちらを参照

*4:政策研究大学院大学C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト『海部俊樹オーラルヒストリー(下)』(政策研究大学院大学、2005年)p.210。なおこのオーラルは非売品であるが、PDFで全文がアップロードされている(リンク)。『政治とカネ―海部俊樹回顧録』(新潮新書、2010年)でも訪欧の回顧の中で「日程の都合で会見できなかったが(p.115)」と簡潔にモドロウのエピソードがふれられている。

*5:朝日新聞』1990年1月6日朝刊

*6:前掲朝日新聞1月5日朝刊。

*7:前掲『海部俊樹オーラルヒストリー(下)』p.168。

*8:前掲『海部俊樹オーラルヒストリー(下)』p.172。

*9:前掲『海部俊樹オーラルヒストリー(下)』p.208。