篤実な研究案内―『「大西洋の戦い」文献ガイド―通史的理解のための16冊』(RNVR花組)

 本書は題名にあるとおり、第二次世界大戦中の「大西洋の戦い」を扱った書籍の文献ガイドであり、この分野における英語圏の最新研究状況を追った、貴重な研究案内となっている。

 本書の特徴は、ただ漠然と関連書籍を並べて内容を説明した本ではなく、著者であるこんぱすろーず氏の言葉を使えば「通史的理解」、すなわち全体の文脈を理解した上で「大西洋の戦い」を把握しようという意識を明瞭にしていることにあるといえるだろう。文末に上げる本書の構成はよくそれを示している。なぜそれが必要なのか。
 「大西洋の戦い」と言われ、人は何をイメージするだろうか。一般的なイメージは、大西洋航路を往く連合軍の大輸送船団、つき従う護衛艦邸、不十分な対潜兵器と未発達の対潜戦術、襲いかかるUボートの狼群戦術、苦闘する船団、そしてエニグマ暗号の解読、ヘッジホッグや護衛空母の登場により変化する戦局、激減する船団の損害、Uボート部隊の黄昏…といったところだろうか。
 このイメージの妥当性はあえてここでは問わないが、このイメージが示唆するように、「大西洋の戦い」はまずその期間が極めて長い。そしてその戦いの間に、外部環境、兵器、戦術、インテリジェンスといった部分で多種多様の変化が次々と生じた。
 著者は、「大西洋の戦い」がまさにそのような複合的な現象であったがゆえに、その理解にあたり、枝葉末節をいたずらに取り上げ、その要素を強調することを戒める。個々の要素が置かれた全体の文脈を理解した上で評価はなされなければならない。文句のつけようのない、極めてオーソドックスな態度といえるだろう。

 以上が本書の視角とするなら、内容にも軽く触れておきたい。わたくしごとだが、昔から歴史学の「研究案内」や「学説史」のたぐいの論文や本を読むとわくわくするたちの人間だった。自分が漠然としか理解していない地域や国、集団、人物の歴史について、自分の抱くイメージが、どのような先駆的研究によって形作られたのか、そしてそれが今日の研究においてどのように扱われているのか(否定されているのか、肯定的に評価され、さらなる発展を遂げているのか)を知ることができ、耳学問(目学問か)を満喫できるからだ。
 そうした自分にとっても、本書は極めて楽しい本となっている。それこそ上に書いた「通俗的イメージ」としての「大西洋の戦い」のイメージが、英語圏において今日どのようなものとなっているかがよくわかるからだ。たとえば情報戦を扱った第3章などは、副題からして既存のイメージに挑戦していることがよくわかるだろう。それ以外の各章でも、いわゆる通俗的なイメージが、様々な側面から、説得的に疑問を呈されつつあることがわかる。
 以前のエントリでも記述したが、よかれ悪しかれわが国の海外戦史というのは、どのような分野においても、語学の壁のせいか、古典的イメージの強い影響下にあるといえる。「大西洋の戦い」に関して、そのギャップを埋める案内が本書でなされたことを素直に喜びたい。そしてそのイメージが是正されることの効用は、恐らくは「大西洋の戦い」自体の理解に留まるものではない。日本の戦った海上護衛戦をどのように評価するかといった比較の視点でも、興味深いものとなるのではないだろうか。

 本書は先日のコミックマーケット86でも販売されたが、8/31(日)コミティア109のJ26a「RNVR花組」で販売される予定である。なお著者のこんぱすろーず氏はかかる海外の研究成果を反映した、HX231船団の戦史『オオカミとヒツジ飼いのゲーム 大西洋船団HX 231 の戦い』(リンク)をPDF販売している。

【主要目次】
第1章 通史・概説―まずは「ビッグ・ピクチャー」を
コレリ・バーネット『敵の懐に飛び込め―英国海軍の第二次大戦』
マーク・ミルナー『大西洋の戦い』
バリー・ピット『大西洋の戦い』(ライフ第二次世界大戦史シリーズ)
ポール・ケネディ第二次世界大戦 影の主役』
ハワース&ロウ編『大西洋の戦い1939-1945 50周年記念国際史学会の記録』

第2章 ハードウェア 艦艇と兵器―その開発史と運用
デヴィッド・K・ブラウン『大西洋の船団護衛』
ノーマン・フリードマン『英国の駆逐艦フリゲート
ガイ・ハートカップ『第二次大戦に対する科学の影響』

第2.5章 ソフトウェア 戦術とドクトリン―変わりゆく戦場のイメージ

第3章 情報戦―「ウルトラ」は魔法の杖だったのか
パトリック・ビーズリー『極秘情報―軍令部作戦情報センター1939-1945』
F・H・ヒンズレー『第二次世界大戦における英国の諜報 抜粋版』
W・J・R・ガードナー『歴史を「解読」する―大西洋の戦いとウルトラ情報』

第4章 対潜航空戦―忘れられた翼たち
ルフレッド・プライス『航空機対潜水艦―二つの世界大戦にて』
ジョン・スレッサー『真ん中の青』

第5章 その他―さまざまな側面
C・H・ベイリー『大西洋の戦い―コルベット艦とその乗組員たちの証言』
ブライアン・レイヴァリ『戦時のみ採用―戦時下英国海軍の訓練』
ブライアン・キャリスン『地獄の輸送船団』