2019年の本

 はてなブログ形式で初の投稿となった。毎年言い訳から始めるのも芸がないが、読書のはかどらない一年であった。この調子で新刊のとりまとめをするのもおぼつかない感じもするが、いくつかのカテゴリで実際に目を通し、印象に残った本を取り上げたい。

 

■日本外交史をめぐって

 他の項目より日本外交史という範囲設定はかなり狭い。そうした枠の中でも例年通り多数の書籍が出版されたが、特に印象に残ったのは、近現代の日本外交通史である波多野澄雄編著『日本外交の150年―幕末・維新から平成まで』(日本外交協会/現代史料出版)であった。

 自国史ということもあり、日本外交史のテキストは世の中に多数存在する。しかし、幕末から現代までを一貫して、専門の外交史家がモノグラフとして執筆したものは実はあまり多くない。その点で本書は細谷千博『日本外交の軌跡』、池井優『日本外交史概説』、井上寿一『日本外交史講義』以来の取り組みといえるだろう。昭和戦前期、そして戦後期と異なる時代について優れた業績を残してきた著者が外交政策の展開を過不足なく論じており、図版も豊富である。こういうものがあってほしいという満足感のある一冊だった*1

 ところで、単独の著者による通史を読むことの楽しみとして、対象への書き手のスタンスが明瞭なものを読むことができるということがいえるだろう。本書は必ずしも強くスタンスを打ちだしているわけではないが、「あとがき」で石井菊次郎が晩年、明治期外交の成功の要因として回顧した「誠実と穏健」を、日本外交がその後もおおむね持続してきたことを評価していることが注目を引く。このように日本外交の行動様式を描くというのが、本書の歴史叙述のスタンスであるといえるだろう。

  さて、日本外交の行動様式については、『帝国日本の外交 1894-1922』で「利益、正当性、「等価交換」の三要因を重視するという、明治・大正期日本外交の行動様式を明らかに佐々木雄一氏が、「近代日本外交における公正―第一次世界大戦前後の転換を中心に」(佐藤健太郎・荻山正浩・山口道弘編『公正から問う近代日本史』吉田書店、所収)を本年刊行しており、これも興味深く読んだ。

 同論文で著者は戦前期一貫して日本外交が「公正」という要素を重視していたことや、その意味の変化を論じている。著者によれば特に明治・大正期日本外交における「公正」とは、手続き的なフェアネスを求めるものであった。条約改正など、当時の外交課題について、自国側の条件が整備されるまでは不平等性も甘受するが、条件が整えば欧米諸国に対して適切な対応を求める、ということである。いわば前著で明らかにした三つの行動様式を実現する際の説得のレトリックが「公正」だったということである。しばしば権力政治的、(国際政治理論における)リアリズム的と評価されてきた日本外交の別側面を照射したものといえるだろう。なお、昭和期に至り、「公正」はむしろ主観的に、自らの理想とする状況を主張するためのものへと変質していくことも同論文では論じられている。

公正から問う近代日本史

公正から問う近代日本史

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 吉田書店
  • 発売日: 2019/03/26
  • メディア: 単行本
 

 石井や波多野が評価する「誠実と穏健」の日本外交は、佐々木の論に依るなら、手続き的「公正」の条件を整えつつ、「利益・正当性・『等価交換』」を求めるものだったといえるだろう。両者を読みながら、二つを重ねて考える面白さがあった。なお、波多野は「誠実と穏健」は大戦略を生み出さないこと、またそれだけでは乗り切れない局面も日本外交に増えてきたことを指摘している。そうした事態に直面している日本外交の行動様式を今後どのように説明可能か…という点を考えるのも、今後の楽しみであると感じられた読書だった。

 日本外交史については、戦後50年代に駐フィリピン、駐米大使を歴任した朝海浩一郎の日記を翻刻した河野康子・村上友章・井上正也・白鳥潤一郎編『朝海浩一郎日記 付・吉田茂書翰』(千倉書房)も刊行された。在外で様々な人士とのチャネル作りに励む朝海の姿が見られて興味深い。駐米大使として観たワシントンの要人たちの人物評価は、日本外交史以外に関心を持つ人間にも有益だろう。

 朝海が駐米大使を務めた時期に行われた、岸首相・藤山外相の訪米については、インターネット上で事前準備や会談などの記録が公開されている*2。これらと照らすと、現場の外交官がどのような心境でこうしたイベントに臨んだのかが理解でき、より興味深く読むことができると思われる。 

 

■その他政治をめぐって

 まず取り上げたいのは、大木毅『独ソ戦―絶滅戦争の惨禍』(岩波書店である。異例のヒットを重ねているという同書は、政治、経済、軍事といった多岐にわたる要素を含むドイツとソ連の戦争をコンパクトにまとめている。

 単なる軍事紛争ではない、さりとて戦争であるから単なる政治闘争でもない…という独ソ戦の持つ多面性に対して、従来邦語で読める独ソ戦に関する書籍はある種隔靴搔痒の感を免れ得ないところがあった。これに対して、政治外交史と軍事史の双方に長じ、また近年精力的に諸外国の軍事史研究の成果を紹介してきた著者が濃縮的に整理をした本書は、まさに待望の一冊といってよいだろう(とはいえ、副題の「絶滅戦争」にまで至る凄惨さは、読んでいてかなり気が滅入るところもある…)。あとがきにある「詳細な通史」についても期待したいところである。

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

 

 続いて取り上げたいのは、中国における対日協力者の動向を扱った関智英『対日協力者の政治構想―日中戦争とその前後』(名古屋大学出版会)である。中国の正史からは「漢奸」と切り捨てられる様々な人々を扱う本書は、各章を独立して読むことも可能な一冊である。対日協力という結果としての行動だけでなく、彼らがどのような展望を持って日本に協力したのか、協力後の展開を模索したのかに注目すべきだとする著者の主張は、中国史を理解する点でも重要と考えられる。

 同時に著者がこうした各人の構想に対する「日本による占領という制限下に置かれた協力者が、相対的に自由に、また主体性を伴って携わることのできた、数少ない活動の一つ」評価は、何とも言えない苦い読後感も与える。

 また、本書の面白さは、日本の敗戦後の協力者たちについても扱っていることだろう。戦争を区切りとはせず、連続性の中で戦後の活動を描く構成は、逆説的に彼らのありようを単なる「対日協力者」という扱いから解放する点でも有益と感じられた。

対日協力者の政治構想―日中戦争とその前後―

対日協力者の政治構想―日中戦争とその前後―

 

 冷戦期については二冊、藤澤潤『ソ連コメコン政策と冷戦―エネルギー資源問題とグローバル化』(東京大学出版会溝口聡『アメリカ占領期の沖縄高等教育―文化冷戦時代の民主教育の光と影』(吉田書店)が関心を引いた。

 藤沢本はソ連東ドイツをはじめとするコメコン諸国の経済協力という、東西関係ならぬ東東関係を扱った歴史研究である。一見極めてマニアックなテーマであるが、その内容は冷戦史と密に連携している。本書はソ連が自らのヨーロッパにおける勢力圏を維持するため、さらに社会主義体制が決して西側に劣らないものであることを示す「体制間競争」のために、石油・石炭といったエネルギー資源について、コメコン諸国にいかに便宜を図るかで悪戦苦闘していたか、またこうした資源の追求がコメコン諸国の中近東地域への進出とどのように連関したかについて、実証的に解明したものだからである。本書は主としてソ連東ドイツの史料を活用してこの東東関係の暗闘を明らかにしているが、ソ連ブロックの内側で起きていたことがここまで実証的に解明できるのか、という点でも印象的な一冊だった。

 溝口本は軍政下の沖縄における琉球大学の設立と、その運営に琉球列島米国民政府(USCAR)がどのように関与したのかを扱っている。いわゆる「文化冷戦」については、日本本土における様々な文化面でのソフトな工作を扱った研究が既に邦語でも存在するが、冷戦の展開と沖縄における米国高等教育政策の(場当たり的な)展開を実証的に解明した本書は、琉球におけるそれが全く違った様相を示したこと解明しており興味深いものだった。

 

ソ連のコメコン政策と冷戦: エネルギー資源問題とグローバル化

ソ連のコメコン政策と冷戦: エネルギー資源問題とグローバル化

 
アメリカ占領期の沖縄高等教育――文化冷戦時代の民主教育の光と影

アメリカ占領期の沖縄高等教育――文化冷戦時代の民主教育の光と影

  • 作者:溝口 聡
  • 出版社/メーカー: 吉田書店
  • 発売日: 2019/02/27
  • メディア: 単行本
 

 本稿の最後には、車田忠継『昭和戦前期の選挙システムー千葉県第一区と川島正次郎』(日本経済評論社 を取り上げたい。本書は戦後に自民党副総裁となり、戦後政治史に重きをなした川島正次郎の戦前期における普通選挙への対応を扱っている。

 本書は川島という地方名望家でも、政府や企業で要職を経験したわけでもない人物がきめ細やかな有権者への対応を行ない、政治と選挙を一致させたことで、普通選挙で生き残っていった様子を明らかにしている。川島という題材で関心を持った一冊だったが、必ずしも一次史料が豊富ではない一政治家の行動を丹念に実証したことに感銘を受けた。

 選挙が組織選挙となっていく戦後についても著者は分析を進める予定とあり、今後を期待したい一冊である。

昭和戦前期の選挙システム: 千葉県第一区と川島正次郎

昭和戦前期の選挙システム: 千葉県第一区と川島正次郎

 

 

■洋書の翻訳について

 洋書の大型評伝や歴史書の翻訳はかなり定着した感があるが、今年も何冊か関心を引く本が翻訳された。特にトーブマンのゴルバチョフ論、トゥーズのナチス・ドイツ経済史など、英語圏でも定評のある研究が翻訳されたのはありがたいことだった。

 決して読者が多いとは思えない本も少なくないが、こうした出版が引き続き続いてほしいと念願するところである。

ゴルバチョフ(上):その人生と時代

ゴルバチョフ(上):その人生と時代

 
ナチス 破壊の経済 上

ナチス 破壊の経済 上

 
鉄のカーテン(上):東欧の壊滅1944-56

鉄のカーテン(上):東欧の壊滅1944-56

 
キッシンジャー 1923-1968 理想主義者 1

キッシンジャー 1923-1968 理想主義者 1

 
人間の本性――キリスト教的人間解釈

人間の本性――キリスト教的人間解釈

 

 

■各種文庫について

 洋書の翻訳と同じだが、文庫化も嬉しい本の文庫化が続いた。特に『明治政治史』『転換期の大正』など、岡義武の一連の著作が岩波文庫入りしたことは特筆に値する。いずれの本も解題が充実しており、有益な文庫化であったといえるだろう。

明治政治史 (上) (岩波文庫)

明治政治史 (上) (岩波文庫)

 
転換期の大正 (岩波文庫)

転換期の大正 (岩波文庫)

 
はじめての政治哲学 (岩波現代文庫)

はじめての政治哲学 (岩波現代文庫)

 
独裁の政治思想 (角川ソフィア文庫)

独裁の政治思想 (角川ソフィア文庫)

 
中世の覚醒 (ちくま学芸文庫)

中世の覚醒 (ちくま学芸文庫)

 

 

■終わりに

 例によって印象に残った本を好きなように書き散らしたが、しめくくりに取り上げたいのは平山洋江藤淳は甦る』(新潮社)石平・安田峰俊『「天安門」三十年 中国はどうなる?』(育鵬社の二冊である。

 私自身はかつて、江藤淳について何とも言えない嫌悪感というか、違和感を抱く人間だった。かつての江藤への印象は、国士めいたことを(やたら晦渋な文章で)書き綴ったり、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの存在を主張したりする、何やらうさんくさい文士というものだった。ただ歳を経るにつれ、江藤の政治的な「センス」の悪さや、一方で様々な批評で見せる鋭さにしだいに関心を持つようになっていった。

 没後20年を記念し、編集者として江藤とも長く接した平山が公刊した評伝『江藤淳は甦る』は、そういう意味でも待望のものだった。平山の伝記は詳細で極めて読み応えがある。本書を読んでも江藤に対する違和感が消えたわけではない(むしろ生年を捏造する、出自にこだわるなど、偏執狂的な江藤の人物にいよいよ気色悪い人だという感覚は強まった)。しかしずっと理解可能な存在であったこともまた感じさせられた。やはり江藤に対する忌避感があったという竹内洋が「江藤淳嫌い」が治る本と評しているのは、まさに我が意を得るところであった*3

 また、2019年は天安門事件から30年であった。これにちなんだ出版は多いとはいえなかったが、その中で『八九六四』の著者である安田と、天安門事件を機に社会主義中国と決別し、やがて保守論壇の寵児となった石平の対談本である『「天安門」三十年 中国はどうなる?』は異彩を放つ一冊であったといえよう。本書は石平の知性をうかがわせる冷静な分析と、同時に感情がほとばしっている。聞き手である安田があとがきに対談の様子を描写し、「対談ではなくカウンセリングをおこなっているみたい」という感想をもらしているが、活字になってもなお、そうした熱量は残り、不思議な読後感をもたらしているといえよう。

江藤淳は甦える

江藤淳は甦える

  • 作者:平山 周吉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/04/25
  • メディア: 単行本
 
「天安門」三十年 中国はどうなる?

「天安門」三十年 中国はどうなる?

  • 作者:石平,安田 峰俊
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2019/05/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  また雑誌としては、「政治思想史の新しい手法」を特集した『思想』1143号(2019年7月号)が白眉であった。思想史という手法がどのようなで、今何をしているのか、門外漢にとっても非常に勉強になる特集であり、いわゆる政治史に関心を持っている人間にとっては、それがどこでどう重なるのか(また異なるのか)を勉強できるいい機会であった。

 まとめていくと多くの取りこぼしがあるがそれでも色々おもしろい本の尽きない一年であった。来年もよいめぐりあわせを期待したい。

 

*1:同書は編著とあるが、編著者個人の単独執筆と回答している。「著者のことば 波多野澄雄さん 国際環境に適応目指す」『毎日新聞』2019年7月30日夕刊https://mainichi.jp/articles/20190730/dde/012/070/011000c

*2:外交史料館ホームページ https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/gshir/index.html 及び琉球大学「沖縄関係外交史料館資料データベース」http://riis.skr.u-ryukyu.ac.jp/resources/RC001_dadocs/

*3:江藤淳嫌い」が治る本 平山周吉×竹内洋・対談 https://www.bookbang.jp/review/article/566319