2025年7月26日
政局
参議院選挙からこちら、自民党内政局が騒がしくなった。元々石破政権にとり厳しい結果となれば、国会の過半数確保、衆院選(+都議選)で既に敗北を喫していること、一方で日米関税交渉やTICAD等の重要外交案件を抱えていることから、首相の進退の扱いが難しくなることは自明のことだった。
ただ正直、今回の政局をあまり面白くは感じていない。(1)勝敗ラインを割りながら早期に首相と執行部の続投を宣言し、その後も様々な策を弄している石破首相自身と森山幹事長の動きにより、対立が先鋭化せざるを得なかったこと、(2)首相の退陣を迫る側の旗頭の不明瞭さ、(3)かつての類似の政局ではその姿を見せた、こうした危機局面を調整し、高所大所から収拾点を見出す人間がいるように見えないこと、などが理由である。
ポスト石破は三つの要素、すなわち①当面の国会運営において過半数に欠ける状況をどのように克服するか、②①を達成するために解散を行うのか、そのタイミングはいつか、③今後の国政選挙を見据え、自民党を支持してきた右派層(いわゆる「岩盤保守」)との関係をどのように扱うのか、これらをどう考えるかで今後決まっていくのであろう。③などは、自民党の右側の政党が躍進したことを踏まえると本来熟慮を要するところだと思われるが、この点あまり期待はできそうにない。ただ渦中の決断というのはそういうものであろう。
また「退陣へ」というメディアの報道が様々な論議をSNS上では呼んだようだった。これもまた(1)政治家がメディアに対し、機微な局面でどこまで真実を語るものか、(2)メディアがどこまで、最終的には政治家の意志に左右される可能性がある流動的な問題において断定をできるか、(3)そして前二項を当の政治家とメディアが的確にやりこなす技量があるのか(またそれを読み手が適切に読解できるか)という問題があるのだろう。
この関連で想起したのは、1945年の日本のポツダム宣言受諾過程を分析する際に麻田貞雄が指摘した、「軍事的敗北」と「降伏という政府の意志決定」の差異であった。麻田は原爆投下が、既に前者の状態にあった日本を後者を導いたことを重要視した(麻田貞雄「原爆投下の衝撃と降服の決定」細谷千博・入江昭・後藤乾一・波多野澄雄編『太平洋戦争の終結―アジア・太平洋の戦後形成』柏書房、1997年)。このひそみにならえば石破首相は既に国政選挙で連敗し、党内有力者や議員、地方組織から退陣を求められるなど、軍事的敗北の状態にある。他方で、降伏の意志決定をしないなら抗戦ができないわけではない状態ではある(比較第一党と総裁リコールの困難はそれを示す)。退陣説が高まる一方で首相側の抵抗が強まっているのはこの表れでもあろう。
果たして選挙の開票前日、開票日の時点で石破首相と森山幹事長はどのような道筋を描いていたか、今後検証しうるものが出てくるのかわからないが、気になるところである(先日毎日新聞デジタル「読む政治」には、「私は間違ったことを言ったとも、やったとも思っていない。『責任を取って辞めます』と言えば、私の言っていたことが間違っていたことになってしまう」と首相が周囲に述べたと出ていた。事実であるとすると流石に呆れる発言ではある)
本の話
参議院選挙の投開票日、高山大毅『近世日本の「礼楽」と「修辞」―荻生徂徠以後の「接人」の制度構想』(東京大学出版会、2016年)の第8章を再読した。本書は徳川時代の近世日本思想史について人間関係(接人)という射程から再考したものである。
第8章「説得は有効か―「直言」批判と文彩」は、荻生徂徠、賀茂真淵、本居宣長、富士谷御杖の四氏の「説得」への態度を論じたもので、幸いにして本章の原型となった論文はオンラインでも読むことができる(『政治思想研究』第10号(2010年)掲載版)
著者が紹介する荻生徂徠の他者への説得に関する態度は、現代においても注意を引くものがある。
「言語を以て人を喩さんとする事大形はならぬ事にて候」――荻生徂徠は説得の有効性について非常に懐疑的であった。……徂徠によれば、説得に訴えることは、聞き手が自発的にその事を理解する可能性を奪い、むしろ反発を呼び起こす行為である。仮に聞き手が納得したように見えても、それは「ツケヤキバ」の理解に過ぎない。「是非」を争うことは、感情の対立を招くだけであり、君主への諫言も大抵は無益で、ただ「諫臣」という「名」が得られるだけである。(319-320頁)
このように徂徠が学問上の討議を避けた背景には、彼の「理」に対する見解がある。朱子学者は「討論」によって、「私欲」や「気習」を斥け、同一の「理」に到達可能であると考える。……「理」を引き合いに出せば、どのような主張も出来ると徂徠は見るのである。
……
同じ飴を見ても、伯夷のような優れた人物ならば老人を養うことを考え、盗跖のような悪人なら盗みに使うことを考える。これと同じく「理」に関しても人の見方は様々であり、自分の「性」に合致した「理」に専ら目を注ぎ、それを利用する。徂徠のこのような見解からすれば「理」に訴える議論は、時節に都合の良い「理」を互いにぶつけ合うだけで、無意味である。(320頁)
では、「争」を避け、実りある討議を行うにはどのようにすれば良いのであろうか。第一に徂徠は、聞き手が語り手を「信」じることが重要であると説く。……たとえ不審に思うことがあっても、相手を信じ、その議論にじっくりと付き合うことが、互いの知見を広める生産的な討議を可能にするのである。
第二に徂徠は、討議者が同じ「習」に身を置くことが必要であると説く。徂徠は「習慣」や「習俗」が人々の思考や感情を強く規定していると考えており、異なる「習」に染まった人間同士では対話は上手くいかないと見ていた。…………
……相手に「習」の一致を求めること以上の回答は、本来するべきではないというのが、質疑に対する徂徠の基本姿勢である。
……相手を「信」じ、その人物が染まっている「習」に身を置く覚悟があって始めて、討議は成立する。もしその覚悟がないならば、議論をしても「争」を招くだけなので、
相互に距離を置く方が良いと徂徠は見ている。……徂徠の所説から浮かび上がるのは、討議を可能にする条件の難しさである。(320-324頁)
著者によれば、徂徠は(礼楽制度が存在した)古代の君子は、いにしえから伝わる「書」に代表される「先王法言」(格言)と、「詩」句の「断章取義」によって婉曲に自らの考えを伝え、また詩を用いることで「人情」や「風俗」への注意を喚起し、討議を行っていたと主張したという。こうした作法は直諫と異なり、聞き手自身に思考を促すという点で極めて重要な方法であった。
このような「断章取義」のやりとりを、直言に比べ閉鎖的であると批判するのはたやすい。しかし、直言のもたらす緊張に人々は常に耐えられるのだろうか。対立を避けるために根回しなどの策を弄したり、あるいは沈黙したりする者がしばしば現れる。彼らを直言へと鼓舞するよりは、事前に緊張を緩和する方法を「制作」した方が優れた制度設計といえないだろうか。たとえそれが、古典を暗誦するだけの記憶力を、政治に参与する者に要求するとしても。(328頁)
同章では、こうした「詩」を用いるという徂徠の考えが、後世の人間に与えた影響が論じられていく。そこでは「歌」による教化という方向を模索した賀茂真淵、さらに「ありのまま」の感情を伝えることが「道理」への深い理解を促すという論理で「歌」の効用と優位性を論じた本居宣長らが登場する。
本章の最後には、同様に「歌」論を展開し、その中で歌について次々とアクロバティックな解釈を次々と示していった富士谷御杖が登場する。従来異端的人物とされてきた御杖はこうした解釈と共に、他意なく「理」のある善を他者に説くことは「人欲」による押しつけ、優位性の誇示と判別不能となって本来そこにある善性を損なうこと、それゆえに「ありのまま」に表す直言を否定し、「倒語」がむしろ望ましいと主張したことに言及する。著者によれば、御杖は、徂徠以来の説得批判の思想に連なる思索を重ねた人物であった。
陰謀論の跋扈する時代となり、「説得」の困難性が指摘されるようになって久しい。この第8章に限らず、「接人」のありようを探求した徂徠らの思索を描く本書は、近世の日本思想史という時期を超えたアクチュアリティを与えてくれる。
気付いた書籍・論文
森山茂徳『日本近代史のなかの朝鮮』(不二出版、2024年)
山本健「「第三世界」をめぐる国際政治史 ~アジア・アフリカ会議と非同盟運動、1955-65年~」『西南学院大学法学論集』58:1(2025)、39-82
渋江陽子「1918年春~秋,飛行家としてのダンヌンツィオ : 海軍第一雷撃機中隊からサン・マルコ中隊へ」『京都産業大学論集 人文科学系列』58(2025)、167-187
佐藤大雅「自衛隊創成期における精神的紐帯の検討 -吉田茂と旧陸軍軍人グループが理想視する「愛国心」表現-」『駿台史學』184(2025)、29-49
山影統「中国共産党外事組織としての北平軍事調処執行部―その再評価試論―」『東洋大学人間科学総合研究所紀要』27(2025)、149-167
2025年7月19日
洋書
最近チェックし気になった洋書について。
■Stephan Kieninger, Securing Peace in Europe : Strobe Talbott, NATO, and Russia after the Cold War (Woodrow Wilson Center Series), Columbia University Press, September, 2025.
精力的に冷戦期のデタント研究を発表しているKieningerの新刊。ストローブ・タルボットに焦点を当てたNATO東方拡大研究らしく、タルボットの日記も使っているらしい。今後そちら方面の専門家がレビューをしてくれるだろう。
■David Lowe, The Colombo Plan : Development Internationalism in Cold War Asia (Global and International History), Cambridge University Press, July 2025.
著者David Loweのことは知らなかったが、オーストラリアの現代史学者らしい。ハードカバーではいかんせん手が出ない値段なので、購入するにせよペーパーバックを待つことになろう。
■Grant H. Golub, Warriors in Washington : Henry Stimson, the US Army, and the Politics of American Power in World War II (Military, War, and Society in Modern American History), Cambridge University Press, July 2025.
著者はLSEで博士号を取得し、現在は米陸軍戦略大学(US Army War College、誰がこの訳名を定着させたのだろうか)に勤務。ヘンリー・スティムソンに焦点を当て、米陸軍の政治的台頭に対する貢献を評価する関する研究らしい。
■Rod Andrew Jr., The Marines' Fight for Survival : War, Politics, and Institutional Crisis, 1945-1952 (Studies in Civil-military Relations), University Press of Kansas, October, 2025.
著者は元海兵隊大佐。第二次世界大戦後、潰されかかった海兵隊を守ろうと涙ぐましい抵抗が内外からいかに試みられ、そして最終的に朝鮮戦争によってその組織がいかに救われたのかという本らしい。実にカンザスUPらしく気になる一冊である。
■Brad Hardy, Training for Atomic Warfare: US Army Doctrine and Education in the Early Cold War, 1945–1963 (Legacies of War), University of Tennessee Press, November, 2025.
著者は陸軍中佐。内容がさっぱりわからないと思っていたら、概要が版元のサイトにあった。冷戦下、核戦争に対応した米陸軍ドクトリンの変貌に関する研究のようで、色々期待できそうである。Ingo Trauschweizer, The Cold War U.S. Army: Building Deterrence for Limited War, (University Press of Kansas, 2008)を想起した。
■Gordon F. Sander, The Finnish Front Line : Kekkonen, Kennedy, and Krushchev's Cold War Showdown, Cornell University Press, December, 2025.
フィンランド大統領ウルホ・ケッコネンの伝記的研究で、大統領就任間もない1950年代後半から60年代初頭の対ソ外交に焦点を置いているらしい。面白そうではある。それにしても装丁がいい。著者はラトヴィア・リガ在住のジャーナリストのようで、冬戦争についての著作 The Hundred Day Winter War: Finland's Gallant Stand against the Soviet Army (University Press of Kansas, 2013)があるらしい。むしろこちらが気になってしまった。
2025年7月18日
本の話
未読だった粕谷一希『歴史の読み方 : 対談書評』(筑摩書房、1992年)を斜め読みしていた。創刊初期の『アステイオン』に掲載されていた粕谷一希編集長と様々な(当時の)若手論客の「対談書評」の一部を書籍化したものである。
Amazonのリンクは貼っているが、国会図書館デジタルコレクションでも読むことができる。この対談書評は読もうと思いながら『アステイオン』を図書館などに読みに行くのも億劫でそのうち忘れてしまっていたシリーズなので、それを簡単に読むことができるのはつくづくありがたい。
特に北岡伸一との対談「国家観をもつ外交官―岡崎久彦『陸奥宗光』(上・下)」(1988年)が印象に残った。岡崎久彦『陸奥宗光』は大部であるが詳細な歴史書と言うより、脂の乗りきった外交官でかつ陸奥の側近・岡崎邦輔の孫である著者のアイデンティティに裏打ちされた言葉が次々飛び出す本である点に最大の魅力があると思っており、自分は好きな本である。この書評は二人が本の性質を理解した上で論じていることがよくわかる。
楽しく読み進める中で、陸奥の思考の視野を述べた以下の北岡の言葉が印象に残った(72頁)。
北岡 岡崎さんの陸奥論に非常に強い影響を及ぼしているのは萩原延寿さんの一連の業績ですが、萩原さんは、陸奥が死ぬ前に書いた「古今浪人の勢力」の中で、"浪人諸君よ、未来は諸君のものである"と述べていることを非常に重視しておられる。どうして体制の中枢に入り込んだ陸奥が晩年にそういうことを言うのか。彼は、反派閥という意識と、権力の樹立者として中枢を担ったこの二つの矛盾にさいなまれていたのではないか、その矛盾を生き抜いた人ではないか、と萩原さんは言われるのです。私も基本的にはそうだったと思いますけれども、それだけではなく、浪人というのは結局オポジションということでしょう。つまり、体制に対する批判勢力が活き活きしていなければ体制側も化石化しかねないという問題だろうと思います。憲法というのはオポジションの制度化ということで、陸奥はそこまで視野を持っていた人ではないでしょうか。
選挙を前に、某党の「憲法草案」について現行憲法にある様々な権利が明記されていないことにつき色々と論議がなされている(2012年の自民党憲法改正草案で議論できた頃が懐かしい水準の議論ではある)。その種の報道やSNSの投稿にいささか気が滅入っていたので、憲法とは何かについて「オポジションの制度化」と国家の関係を簡潔に明らかにする表現の鮮やかさが印象的であった。
その後、萩原の陸奥論が掲載されている神島『現代日本思想大系 10 権力の思想』にも目を通した(これも国会図書館デジタルコレクションで読める)。セレクトされている三点の資料(井上馨宛書簡/古今浪人の勢力/諸元老談話の習癖)ともども興味深いものであった。
萩原の研究をさらに発展させ、現実政治における行動と照らし合わせる形で、陸奥の政治観は佐々木雄一「近代日本の代議政治と陸奥宗光 : 立憲政治, 競争, デモクラシー」(『年報政治学』69:1、2018年)が明らかにしている(これも読んだ)。陸奥の魅力を存分に論じたいくつかの文献に触れるのはただ愉快な時間であった。

