「黒子のバスケ」被告人意見陳述に端を発する雑感

 「黒子のバスケ」脅迫事件の初公判で、被告人の読み上げた冒頭意見陳述全文(リンク1リンク2)がインターネット上で評判になったが、これを読んでしばらくして、私は下記のようなツイートをした。

(誤字を一部訂正した)

 それなりにRTされたり、リプライをいただいたりしたのだが、なぜ自分がこういうことを思ったのか、再度整理のためにまとめておきたいと思いこのエントリーを書く。いわずもがなのことを先に述べておくが、これは「私はこう読んだ」という感想文であり、これが正しい解釈であるかどうかはわからない。

まとめサイトのような文体
 先の意見陳述を読んでまず受けた印象は、内容に関していえば、実に平凡だなというものだった。自己の生まれの不幸と、社会的苦境を理由に、成功者に嫉妬をして犯罪を起こす、ああなるほどという印象を受けた。ここでいう「平凡」とは、被告人の語るストーリーが、社会が散々消費してきた類型だということである。非正規雇用という不安定な待遇にある犯人が凶悪事件を起こす。犯人は歪んだ環境で育っており、更に非正規雇用で孤立感を募らせ…云々。秋葉原で白昼堂々の無差別大量殺傷事件が起きたときも、冷凍食品に農薬が混入されたときも、社会はかかるストーリーで犯人を理解してきた。

 一方で、形式、あるいは修辞ともいうべきもの(とりあえず以後形式とする)については、特異なものを感じたのも事実だった。「自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと『10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして<人生オワタ>状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた』ということになります」という文章を典型に、随所で自分の存在や自己の起こした犯罪を突き放して評価するような文章は確かに印象的ではあった。
 形式という点ではそれ以上に、他人からの自己の評価を取り上げ、それにいちいち反駁する姿勢がなんとも印象的だった。被告人は述べる。「ネット上では『喪服は恐い刑事さんからきつい取り調べを受けて涙目になっているんだろうな。ざまあwwww』などと言われているかと思いますが、そのようなことは全くありません」「自分の国籍や民族的アイデンティティについて勝手な憶測がネット上などに氾濫しているかと思いますが、自分の両親も祖父母も曾祖父母も日本人です」「どこかの臨床心理士が新聞紙上で『好きなキャラ云々』などと真相にかすりもしないプロファイリングを披露して悦に入ってましたが、そんなしょぼい話ではないのです」。

 率直に告白すれば、この形式の特異さが印象に残ったのは、ありふれたストーリーを語る被告の意見陳述を読みながら「ああ要するにこういうことでしょう」と頭に浮かんだことを、いちいち後に続くこれらの文章で制されたからである。私は被告人のストーリーを聞きながら、そこに読み手として感想を挟む余地をいっさい許されなかった、という印象を受けた。それは徹底的なセルフツッコミを駆使する独演会のようであった。

 このような形式と、また筆者の「ここ10年くらい自分は重度のネット依存症状態でした」という自供を読み直感的に思ったのは、これは2ちゃんねるで展開され、まとめサイトで整理される、スレ主と多数の匿名との対話なのではないか、ということだった。
 説明がまだるっこしいので再現すると、要するにこういうことである。↓

喪服の死神だけど犯行動機説明するわ
1 : 喪服 投稿日:2014/03/13(木) 20:53:32.92 id:JGSN63Zd
ちなみにスペック
 36歳真性童貞
 学歴 高卒⇒専門中退
 非正規雇用
 年収200万越えたことない

5 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2014/03/13(木) 20:55:19.43 id:c4IYtBDt
完全に詰んでるだろこの人生

7 : 喪服 投稿日:2014/03/13(木) 10:59:29.86 id:JGSN63Zd
>>5
まあな。

8 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2014/03/13(木) 10:59:45.28 id:xvb2aZBV
よう在日

9 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2014/03/13(木) 10:59:56.48 id:SJdqOniL
加藤みたいなプロフィールだな。

12 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2014/03/13(木) 10:59:56.48 ID:6etePwA5
恐い刑事さんからきつい取り調べを受けて涙目ざまあwwww

19 :喪服 投稿日:2014/03/13(木) 11:05:35.78 id:JGSN63Zd
>>8
残念だけど違う。
両親も曾祖父母も全員日本人だよ。帰化もしてない。
>>9
せやな。
俺もクソみたいな家庭だった。
成功者に嫉妬して噛みつく、下流犯罪だったと思うよ。
>>12
残念だけどそれも違う。
警察も検察も取り調べは普通だよ。むしろ紳士的。

901 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2014/03/13(木) 11:39:56.48 id:s8DFYmxs
追いついたけど喪服本当にクソだな。
若いころろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、
30代過ぎて人生詰んでるのに気づいて発狂、
自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、
妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れたとか
巻き込まれた黒バス作者に同情するわ

 鳥瞰やツッコミは被告の脳内にいる無数の匿名ユーザーによるものであり、それに逐一被告は反論した、そのような印象を私は受けた。もちろん人が自分の行動を回想するとき、そこには第三者的な視点からその行動を再評価するという行為が伴う。しかしこの意見陳述は、そうした再評価が執拗であり、さらに自己の属性やどのような境遇にあるか、などといったことまで実在せぬ相手に弁明をする、端的にいえば「くどい」もののように感じられた。それはまとめサイトにまとめられたスレッドのように、スレッドが立ち、スレ主と参加者によって会話が構成され、さらにまとめサイトに掲載されることで更なる消費の連鎖に飲み込まれる…そうした連関の中にあるものと同じものを感じたのであった。
 それゆえに、私は「くりかえされる自己の行動へのツッコミ、いかにもなネット的修辞、『自分がいかに消費されるか』を異常に意識した文章、何もかもがメタ的消費に飲み込まれた文章」とツイートしたのだった。

形式は内容を制約する
 さて、先の節で私は意見陳述を「まとめサイトのような文体」と評した。それではこの意見陳述は被告の「本心(動機としてもよい)」を語るものなのだろうか。これは「あなたはあの文章に彼の心にある絶望を感じなかったのか」といった趣旨の指摘を受けたことへの応答でもある。結論からいえば、冒頭につけた二つ目、三つ目のツイートのように、そこに「本心」を読みとるのは困難だったし、そもそも「本心」とは何なのかがわからなくなってしまった。

 結論と矛盾するように聞こえるかもしれないが、この意見陳述に本心が現れていない、とまでは思わなかった。現実に被告は犯罪を引き起こしている。一切の動機なくして罪を犯すことはなかろうし、それを本文中に一切書かない、とは思われない。単なる憶測ではあったが、私はそのように考えていた。

 しかしながら既に述べたように、この文章はまとめサイト的であり、装飾過剰であった。文章の形式は、本来の文章作成の意図からすれば内容をより達意のものとするべく用いられるものであると思うが、実際はパラレルに文章の内容をも制約していくものでもある。この意見陳述で用いられた冷たい客観評価による突き放し、自己へのツッコミは恐らくは被告の脳内に渦巻いていたものだが、そうした形式との対話はむしろ意見陳述のありふれたストーリーを必然的に構築していったという部分はなかっただろうか。
 それのみか、この形式と内容の対話の問題は意見陳述のみならず、被告の行動原理そのものを形成することにもなっていたのではないのか。この脳内対話によって、被告は自らの立ち位置を定め、応答するためにストーリーを作り上げ、それに準拠した行動へと規定されていたのではないか。そうした行為の中で、当初の「本心」であった動機はその中に埋め込まれ、整えられ、ともすれば変質するのではないのか。

 繰り返される自殺も私にはチグハグのように感じられた。Twitterのタイムライン上では、「このような戯言性クズが自殺なんて実際するわけがない」などという意見も見られた。幸か不幸か、私は自殺を考えたことも周囲にそうした人間がいたこともないため、自殺を思いつめる人間の心理を理解する手立てがない。しかしながらこの意見陳述のストーリーにおいて論理的帰結が「自殺」となってしまう、というのは理解できなくもなかった。
 しかし被告は一人で静かに自殺するわけでもなく、成功した他人を巻き込む連続犯罪を引き起こしながら、事件を収束させ「心の糧に残りの人生を無惨に底辺で生きて行くなり、自殺して無惨な人生を終わらせるなりしようと思っていました」と述べている、なんとも言えぬチグハグさであった。先に述べたように自殺を考えたことがない自分にはわからない葛藤もあるであろうし、そもそも人間の心理など非合理なものではあるが、しかしながら論理的帰結として整合する「自殺」を高らかに述べるのはそうするという強固な意志があるからではなく、形式上それを述べざるをえなくなったからではないのか、そうした疑義を私は覚えたのだった。

 冒頭で「あなたはあの文章に彼の心にある絶望を感じなかったのか」といった趣旨の指摘を私は受けたと書いたが、私はこんなことを考えていた。むしろ被告の「心中の絶望」は何か。この意見陳述のどこまでが当初から被告を苛むものであったのか、そしてどこからが後から整えられたものなのか、そもそもこの能弁な文章のどこまでが本心、動機と呼びえるのか。そういうことを感じていたのである。

解釈を拒むもの
 ところで、この数年ぼんやりと自分が考えていることなのだが、インターネットと密接な連関を持つ日本産のコンテンツは、消費者によって何らかの加工、解釈をされることを前提として提供されてきたと思う。

 アニメーション作品はニコニコ動画で実況の弾幕が重ねられること、そして素材としてキャプチャーされたりMADが製作されることを前提とし、音楽は特徴あるフレーズを抜き出されたり、付随するダンスがアップロードされることを前提とし、あげく恋愛ゲームに至っては相手の女子を任意にデコレーションする(ラブプラス)に至った。話題性というものはあらゆる大衆向け娯楽が過去来重視してきたものではあろうが、その手段として消費者による「加工」を重視するようになったのが、思えば2007年のニコニコ動画登場の意味ではないのか。実証性は乏しいのだがそう考えている。

 思えば2ちゃんねるニュース速報VIP板あたりで発展した(発端はむしろ電車男にするべきなのだろうか)、「スレ主」がホストを務め、何か体験したことを語るという形式も、そこにああでもないこうでもないと述べる、匿名ユーザーの加工を前提としていたように思われる。被告の意見陳述は、そうしたものの延長線上にありながら、とにかくツッコミを事前に抑止し、解釈されることを拒み、「公式解釈」を訴える、という点でクラシックだった。そんなことを思ったりもするのである。

 これが達意の文章であることは確かに事実である。被告はこの意見陳述で、自分の行動が理不尽ではあることを認めながら、周囲によって自己形成に失敗した犠牲者であり、また閉塞の時代の犠牲者であると訴えた。そしてどうもインターネットを眺める限り多くの人にはこのストーリーはある程度了解されたようである。しかしあまりにその思考の態様が整っており、また一方で記述にいびつな部分を抱える文章をそのまま素直に受け取ることは、どこまで適当だろうか。
 かくも整った動機がつづられる文章の他の例として、私は就職活動の志望動機を想起する。その企業に入るべく運命づけられていたがごときストーリー、それを能弁に物語る文章は、どこまでその就職希望者の実態を描いているのだろうか。
 
 こうつらつらと書き連ねるといよいよ自分が大したことを書いていないのがわかってきたし、また人間の真実の姿など、それこそ千差万別であろうし、考えれば考えるほど沼にはまっていくものであり、考えすぎるのもあまり建設的なものではないかもしれない。しかし、今回の反応を見ていると、こうしたことを感じざるを得なかったのであった。