戦史研究の現在―大木毅『ルビコンを渡った男たち 大木毅戦史エッセイ集2』

 数か月前、著者の戦史エッセイ集『明断と誤断』の紹介を掲載したが、同じくシミュレーションゲーム専門誌に掲載されたエッセイをまとめた第二弾が発表された。

 目次は「戦史無駄ばなし」と題された五編を除くと、いずれも第二次世界大戦中の戦史を扱ったもので、以下のとおりとなる(末尾発表年、扱っているテーマ)。

ツァイツラー再考(2009年:ドイツ陸軍参謀総長ツァイツラーの来歴とその回想が残した影響)
1943年の敗戦(2009年:太平洋戦史研究であるH. P. Willmott, The War with Japanの紹介)
二つの残光(2010年:初期チュニジア戦)
収容所のなかの戦争―盗聴されていたドイツ軍将校たちの会話(2010年:ドイツ軍将校捕虜たちの収容所内での対立)
アーヴィング風雲録─ある「歴史家」の転落(2010年:英人作家ディヴィッド・アーヴィングの伝記)
誇張された勝利:マンシュタイン戦記 第1回(2010年:クルスク戦
ジークフリートの背中:マンシュタイン戦記 第2回(2010年:クルスク戦以後の1943年独ソ戦

 前著『明断と誤断』について、私はその特徴を「最新の海外の戦史研究の成果を取り入れた『通説』への疑義の提示」とし、更に「本書で紹介される『通説』への批判は、旧来軍人の回顧録等によって形成されてきたそれを、一次史料へのアクセスによって突き崩すという極めて常識的なもの」と紹介した。この印象は本書でも変わらない。そのアプローチはどこまでも堅実なものである。

 特に興味深かったのは「マンシュタイン戦記」である。これは回想録『失われた勝利』で見事な自己演出を成し遂げ、更に戦記作家パウル・カレルらによっても祭り上げられた陸軍元帥エーリヒ・フォン・マンシュタインの作戦指導の実態について、近年の研究をもとに批判的に再検証するものである。特にクルスク戦を中心に、個々の戦闘では卓越した才能を示していたものの、大局的な判断においてマンシュタインの判断は適切だったのか?との疑問が提示されている。またマンシュタイン自身に関する記述ではないが、その叙述の中では、かつて「史上最大の戦車戦」とも言われたプロホロフカ戦車戦の意外な実像も露わにされている(なおクルスク戦の立案過程については本書収録の「ツァイツラー再考」、前著収録の「クルスク戦の虚像と実像」も併読することでより面白い理解ができるようになっている)。

 本書を読みながら思い出したのは、『小説吉田学校』で知られる政治評論家戸川猪佐武の下記の文章である(出典は「大世界史よもやま話」高坂正堯著『大世界史26』付録、文藝春秋、1969年)。

 …私はいま、主要な政治家たちに、手記を残すことをすすめつつある。
「あの原敬日記をみなさい。山縣有朋桂太郎も悪役ですよ。二人には、反論する手記がないからです。かりに他の政治家が、あなたの悪口いっぱいの手記を残したとして、あなたに手記がなければ、あなたは永遠に悪役だ」と、そんな冗談をいうことがある。

 この戸川の指摘のごとく、原敬の残した膨大な日記は、戦前日本政治史研究の世界観に強い影響を与えることになった。この文章は、史料があるからこそ歴史が書ける―そして、史料を残すものが自分だけであれば、歴史を書き換えることさえできる―という、なかなか厄介な指摘である。
 本書が揺さぶるドイツ軍やドイツ軍人たちのイメージも、近年まで似たようなヴェールの中にあった。それがソ連・東欧地域の新史料が利用可能となること、あるいはつい「この前の過去」を記述する際の障害となっていた様々な要因が取り払われることによって、議論百出の状況となった、というのが現状なのであろう。

 一方で、それは既存研究が築き上げてきたものの安易な「全否定」とはなるものでは決してない。政治的軍人としての側面に光が当たりつつあるマンシュタインについて著者が述べる「もっとも、だからといって、マンシュタインへの関心を失ったとか、けしからん人間だと非難しようというわけではない。単純素朴な軍人ではなく政治的に巧妙に立ち回ったというところに陰翳を感じ、むしろ興味をつよめているというのが正直なところだ(p.39)」という一節は、まさに過去に(マンシュタイン自身によって)作り上げられたマンシュタイン像と、新たなマンシュタイン像の統合の先に生まれた関心であることを示しているといえるだろう。しばしば「名将」、あるいはそれをひっくり返しただけの「愚将」のラベルを貼って悦に入る軍人評が見られる日本であるが、このある種「健全」な対象への距離感覚を確保したいところである。

 前回の紹介において「学問としての戦史研究のおもしろさ」を伝える本と私は紹介したが、本書も同様に、史料や先行研究を渉猟し、適切な意味づけを与えるよう吟味し、既存のイメージや研究の再検討を行なうという、歴史研究において当たり前のことを行なうと、戦史がかくも面白いものであるということを教えてくれる本であるといえる。

 なお、今回第2回まで掲載された「マンシュタイン戦記」については第3回が『コマンドマガジン』97号に、番外編が同101号に掲載されている。そういえば「ルビコンを渡った男たち」という本書のタイトルについて著者は何も語っていないが、私としては著者もまた既に戦史エッセイ集連続刊行というルビコン川を渡っているものと信じて、エッセイ集第3号の刊行を待ち望みたい。

 なお、本書は下記のサイトで通販で入手できる。追って書泉グループでの取り扱いも始まるとのことなので、著者大木氏のTwitterをご確認されたい。
http://a-gameshop.com/SHOP/bg002.html

付記:また、戦史無駄ばなしについては紹介も割愛したが、著者大木氏がTwitterでおすすめしているとおり、特に「Uボートと大海蛇」は、1915年のドイツ海軍潜水艦U-28とシーサーペントの遭遇事故の真相をドイツのアルヒーフ文書で追跡調査したもので、とてもくだらないばかばかしく楽しい。