過剰に大きな星条旗―孫崎享『戦後史の正体』を読む

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1)

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1)

 感心できない本である。

 著者が出版社から「高校生でも読めるような冷戦後の日米関係」を書くように希望されたことが本書出版の動機であり、構想を考えるうち、冷戦後に限らず、戦後の日米関係の通史として描くとを決めたそうである。とはいえ、本書は日米関係史としてははなはだ中途半端なものである。その内容からして、日米関係というファクターを重視した、戦後史(つまりタイトルどおり)とする方が妥当だろう。

 本書はまず細部の不用意さが目を引くが、本書のような本は細部を都度つつきまわすより、その示す議論の枠組みについて批判的検討をするべきだろう。まず概略をまとめたうえで、枠組みの検討を行ないたい。

本書の概要
 著者は戦後日本の外交は、常に存在する強力な米国の圧力の中で、どのような選択をしたかで語ることができるとする(p.6)。そして終戦以来続くその選択の軸は「対米追随路線」と「自主路線」の二つである。

 「自主路線」は「日本には独自の価値があり、米国と日本が不一致の局面では自らの価値を追求する」路線である。「対米追随路線」とは、「強い米国に抵抗することはやめ、米国の方向性に従いつつ、その渦中で利益を得る」路線であり、著者は前者の「自主路線」の立場をとると明言している(vii頁)。

 また「自主路線」を唱えた政治指導者たちは、何らかの形で米国政府(の謀略を担うCIA)や「対米追随路線」をよしとする日本国内の検察特捜部(著者はその起源以来、この組織が米国と深い関係にあるとする)、マスコミ、外務省・防衛庁防衛省といった組織によって形成された「システム*1」によって排除されてきたと著者は主張する(pp.368-371)。その渦中で著者は米国の圧力や裏工作といった「謀略」が駆使されてきたと推測する。(pp.8-13)

 著者は本文で終戦から21世紀まで、彼のいう「自主」の政治家―重光葵石橋湛山芦田均岸信介鳩山一郎佐藤栄作田中角栄福田赳夫宮沢喜一細川護煕鳩山由紀夫―と、「対米追随」の政治家―吉田茂池田勇人三木武夫中曽根康弘小泉純一郎…その他諸々(鈴木善幸竹下登橋本龍太郎福田康夫といった一部の人々について、筆者は「一部抵抗派(特定問題について米国の圧力に抵抗した人たち)」というカテゴリを「おわりに」で唐突に設けている)―の政治家たちが、米国の圧力にいかに翻弄されたか、また「自主」の政治家がいかに排除されたのかを述べたうえで、下記のようなポイントを強調する。
 1) 米国の対日政策はあくまで米国の国益を追及するものである
 2) 米国の対日政策は、その環境変化によって変わる
 3) 米国の圧力が大きかろうと、日本のゆずれない国益は主張するべきである
(p.366)

 そしてカナダのピアソン政権のように、米国に容易に屈しない、毅然とした自主外交を行なうべきことを再度強調するのである。

本書の評価
 本書は「対米自立」「対米追随」で一切の政治指導者を区分けし、さらに米国(および親米派「システム」)の意向「のみ」がその生殺与奪を握ったという議論を展開した結果、少なからず困惑する議論を展開している。三点に整理して考えたい。

全てを日米関係で語ることは可能か
 第一に、日米関係で語りえないであろう事例への強引な日米関係要因の発見・あてはめである。たとえば竹下政権を崩壊させたリクルート事件を、軍事的貢献に消極的な竹下政権に不満だった米国の(意を受けた検察の)謀略であることを示唆し(pp.304-307)、福田康夫の辞任を、陸上自衛隊イラク増派、サブプライム危機の時期大きな問題となった米国金融機関ファニーメイへの融資要求といった米国の圧力への「抗議の辞任だった」とする著者の議論(pp.350-554)は、どれだけの人間が説得されるだろうか。日米関係という要因がその政権の存続に作用したであろう事例も後述のとおり苦しい解釈が目立つが、その前にこれらの無理やりな事例があることは指摘したい。

米国の圧力とは何か
 第二に、日本政治の生殺与奪を握る「米国の圧力」はどのような形で展開されるのかについての、議論の不十分さである。米国の意向こそが日本の政治を左右した(左右できた)という著者の主張は、確かに占領期、および独立初期に適用されるならば理解できる。なぜならばこの時代、米国は多くの対日政策におけるオプションを有していたからである。占領期はいわずもがなであるし、独立初期は在日米軍経費の一部を日本が財政負担する「防衛分担金」の扱いなどを典型として、米国は日本政治に影響を及ぼしえた。
 米国が当初強硬な反対を行ない、予算成立を妨害することで鳩山一郎内閣を崩壊寸前まで追い込んだ1956年度の防衛分担金削減交渉はその典型である。交渉の最終局面で米国が行なった「譲歩」が、米国の望んだ保守勢力結集(への努力)とのバーター取引であったことを提示する佐藤晋・中北浩爾などの研究は、そのような米国の「圧力」の実在を大きく感じさせるだろう*2
 しかし、それ以降となると話は変わる。米国が日本に行使しうる「圧力」は、防衛分担金のように日本政治を内部から制度的に操作しうるものではなく(たとえば先述の防衛分担金は、これは1952年の日米行政協定に基づくものであったため、1960年の日米地位協定への改定で消滅した)、日本の政治・経済システムに対する純然たる「外圧」へと変わっていく。はたして「外圧」はそこまで有効に機能しえたのだろうか。
 もちろん著者は序章でも掲げた「謀略」の存在をここぞとばかりとりあげるのだろう。しかし著者のいう謀略の担い手とは、あの、(著者も引用する)ティム・ワイナーの『CIA秘録』でその実績が余すところなく描かれている、謀略の成功経験に乏しいCIAである。キューバの指導者カストロの暗殺計画を数十回と立案しては、一回も成功しなかったCIAである。政権の転覆工作では、イランのモサデク、グアテマラのアルベンス、南ベトナムゴ・ジン・ジェム、チリのアジェンデといった、途上国でのわずかな成功体験ばかりしかもたないCIAである。そのCIAが著者の言うとおり、継続的に日本の政権を崩壊させてきたというのなら、これは間違いなくCIA史を書き換える壮挙といえるだろうが、そのようなことがありえるのだろうか。

 そもそも本書の構成そのものが、このような「米国の圧力」を証明し論じることの困難さを示しているように思われる。本書は「序章」を除く本文約340ページを、占領期(100ページ)、独立から安保改定まで(100ページ)、ポスト安保改定から冷戦終結期(90ページ)、冷戦終結後(約50ページ)で分割している。六十数年という期間に比して、最初の十五年(つまり「米国の圧力」が制度的にも鮮明に存在した時代)に割いたページ数が大きすぎることが見てとれよう。

親米「システム」は論じられたか
 著者のこれまでの議論が指摘するように、このような直接の「米国の圧力」を補完し、自発的にその意向を察知して行動するものが、日本国内に埋め込まれた官庁・マスコミ・財界の親米「システム」と言うべき面々である。このような人々は確かに存在するのだろう。しかし、この「システム」についての議論は曖昧な人脈論に留まっている。検察ではロッキード事件を担当した堀田力陸山会事件(西松建設事件)を担当した佐久間達哉が駐米大使館の勤務経験(一等書記官)があること(pp.85-86)、朝日新聞の論説主幹を務めた笠信太郎が戦後CIA長官を務めるアレン・ダレスと終戦工作に関わった経験などを著者は指摘してはいるが(pp.208-209)、それはただ「米国と接触があった」という指摘にとどまっている。米国と何らかの関わりがある人間は「システム」に埋め込まれたとでも言いたげな著者の記述を見ると、外交官時代にハーバード大学研究員を経験しているのだから、著者もまた「システム」の一員なのではないかと邪推すらしてしまう。
 私的な関心にひきつけていえば、評者は、「なぜ現代日本は(過剰に)親米的なのか」という著者と少なからず重なる問題意識を有している。CIAの謀略はともかくとして、とにかく米国の意向に異常なほど注意を払う日本人が少なからず存在することは事実であるし、その解明は評者自身の関心事である(評者はそれが「システム」といえるほど横の連携を持っているとは思わないし、ましてCIAと結託したり、疑獄事件を何度も起こすとも思わないが)。しかし先述のように、このような親米的な日本人の解明を、「米国と何か直接的な関係があったか」で識別する著者の視角は貧弱なように思われる。彼らの動機について、より踏み込んだ検討が不可欠であろうが、本書はそのような問いには答えていない。1980-90年代の日米構造協議や2000年代の「構造改革」を主導した人々の、自発的としか見えない「親米」性(米国の「圧力」を錦の御旗にして改革を進めた人々)を捉える視点が、著者には欠如している*3

米国はいつ、日本の政治指導者を失脚させるのか
 第三に、日本における米国の利益をどう考えるのか、米国にとっての日本がどのような存在であるか、という点である。「自主路線」が米国の国益と真っ向勝負する路線であるとするならば、この点を明らかにすることは必要だろう。本書を読む限り、著者は様々な要素のなかでも、「在日米軍の撤退(及び日米行政協定の改定)」と「中国との関係改善」が、米国の「虎の尾」であったと指摘しているように見える(pp.161-162、p.218、pp274-275)。そしてこれに反したがゆえに、岸信介(「在日米軍撤退」「行政協定改定」「中国との関係改善」を追及)、田中角栄(「中国との関係改善」、資源外交を追求)、そして時期を経るが鳩山由紀夫(「在日米軍撤退(県外移転)」「行政協定改定(地位協定見直し)」を追求)は引きずりおろされたのだという。しかし、これらは本当に米国の「虎の尾」だったのであろうか。あるいは未来永劫そうであるのか。

在日米軍の撤退」は虎の尾か
 重要と思われるのは、これらの「虎の尾」が本書の中でバズワードと化していることだろう。著者は文中で「在日米軍の(全面)撤退」を米国に求めた重光葵、同じく「可能な限りの在日米軍撤退」を求めた岸信介らと、鳩山由紀夫を並べて論じている。
 特に重光の構想を説明したあと、「これにはみなさん、驚かれたのではないでしょうか。まだ本当に弱小国だった1955年の日本が、米国に対して『12年以内の米軍完全撤退』を主張しているのです。普天間基地ひとつ動かすことさえ『非現実的だ』としてまったく検討しない現在の官僚や評論家たちは、こういう歴史を知っているのでしょうか」と鳩山政権の動きをあるべきものと賞賛している(p.161)。
 しかしながら、50年前と現在の在日米軍の状況は大きく異なる。1950年代末の在日米軍は日本本土だけで892,562千平方メートルの土地を利用し、8万7千人が展開していた*4 。これと50年後、本土80,863千平方メートル・沖縄228,076平方メートル、5万人が展開している*5現在の在日米軍は単純な比較が可能だろうか 。
 50年代の広大な米軍基地は当時から米兵と日本国民とのトラブルの温床、日本のナショナリズムを刺激する日米間の難題となっており、1955年4月に米国家安全保障会議で承認された対日政策文書NSC5516/1も、地上軍戦力については撤退を勧告し、軍部も政治的理由から1957年6月にはこれを承認するに至っている*6
 そのような「在日米軍の撤退」について一定のコンセンサスが日米間に存在していた時代と、鳩山由紀夫政権の時代に提起されたそれを同一線上に語ることは、バズワード化の悪影響と思われてならない。「在日米軍の撤退」が岸の「虎の尾」だったという説は、どうにも首肯しかねるのである*7

 加えていうならば、著者が重視する「行政協定の改定」もバズワードと化している。著者は岸は行政協定の全面的改定を志向していたと論じている(p.198)。確かに、岸は1983年の回顧録で「もともと全面改定派だった」という議論をしているが、彼自身が同時代的にそのような動き、発言をした記録は見受けられない*8。せいぜい岸が望んでいた行政協定の改定とは部分改定であり、しかもそれは著者が重視する施設返還条件(第2条)の改定ではなく、予算編成に関して米国に拒否権を与えてしまう防衛分担金条項の削除(第25条)であった*9 。全面改定は関してはむしろ著者の批判する(反岸派の倒閣運動としての)河野派や池田派がその推進力となったのである*10 。著者は岸が安保条約を改定し、続いて行政協定を改定する「二段階構想」を有していたと主張しているが、この主張に何らかの根拠はあるのだろうか(p.198)*11

「中国との関係改善」は虎の尾か
 「中国との関係改善」もまた曖昧な概念である。岸は政経分離原則を掲げつつ、中国との貿易拡大を求め、米国に日本の行動を説得した。これは事実である(pp.214-217)。著者はこれが在日米軍撤退と並ぶ「虎の尾」であったとする(p.218)。
 しかし、第一に1950年代後半のチンコムによる対中貿易統制緩和問題(チャイナ・ディファレンシャル問題)において、米国は(著者が好んで引用するシャラーも指摘するように)日本のみならず、西欧の主要同盟国とも対立していた。そしてアイゼンハワー政権内部でも、アイゼンハワー個人に限らず、チャイナ・ディファレンシャルを維持することは困難であるという認識が広がっていた。1957年5月にはイギリスは日本に先駆けて、統制離脱を宣言している*12。日本はこれに追随しただけであった 。
 また、著者はアイゼンハワーがこれを認め、ダレスは反対していたかのように語っているが、この頃にはダレスも留保つきではあるが日本の中国貿易拡大を容認するまでに至っていたことを指摘すべきであろう*13
 第二に、「政経分離」原則を掲げ、中国との民間貿易拡大を図ったのは岸だけではなかったことが指摘できる。著者が「対米追随派」とする池田勇人である。
 池田政権は岸政権と同じく「政経分離」を掲げながら(そして米国の反発を受けながら!)LT貿易協定の成立を支援している*14。このような動きをとった池田はなぜ「自主路線」の指導者でないのか、なぜ米国に消されなかったのか。著者の見解を聞きたいところである 。
 また、田中角栄失脚と「中国との関係改善」も不明瞭である。著者の引用する、田中の急速な日中接近がキッシンジャーを苛立たせたというエピソードはよく知られたものであるが、その怒りがなぜ、どのような理由で、田中を失脚させるまでに至るのか、本書では不十分にして語られない*15。1976年に発表された田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」を引用する形で、著者は身の程知らずの同盟国に制裁が加えられたという解釈を採用している*16。素朴な疑問であるが、身の程知らずな同盟国がお気に召さないニクソンキッシンジャーは、同じく彼らを苛立たせた「東方外交」を推進したヴィリー・ブラントを、なぜ抹殺しなかったのだろうか*17

 非常に長くなってしまったが、米国にとっての日本の価値を考えるとき、「在日米軍の撤退」と「中国との関係改善」を著者が重視している以上、これらの点を精査せざるを得なかった。しかしながら、既に論じたとおり、「在日米軍の撤退」も「中国との関係改善」もその内実には複雑なものがあるし、岸にとっても田中にとってもそれらが日米関係において実際は大きな課題でなかった。鳩山政権については別途検討が必要であるとここでは留保したいが、少なくともこれらを一様に語ることができないことは間違いないだろう。

「戦後史の正体」は見えたか
 つらつらと疑問点を連ねていったが、本書は「自主路線」「対米追随」という枠組みにすべてを押し込み、説明をしようとしたことで無残な失敗をしているというのが実態の本である。既にまとめたとおり、①とても対米関係のみで失脚が語りえない政権への強引な解釈、②不明瞭な「米国の圧力」、③不明瞭な米国の国益、など、著者の枠組みはいたるところで破綻を生じている(細かな事実理解の問題については機会があれば別項を設けたい)。著者の掲げる前提(米国は自国の戦略のままに動く、日本も国益を守るべきだ)は正しいかもしれないが、その前提になっているのがこの「全能の米国」を相手取ったマゾヒズムのような戦後史認識では救われない。

 本書を一読したとき思い出したのは、森田朗がカレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎』に言及した一文である*18。日本異質論の一冊としてベストセラーとなった同書について、多くの批判がなされたのにもかかわらず、その主張が支持されている理由を、森田は次のように論じている。

というのは、本書における著者の論法は、著者が主張しようとすることをラフな枠組で示したあとは、その枠組について詳細な説明を加えその主張を論理的に証明していくのでなく、もっぱら具体的な事例を次々に挙げることによって読者を納得させてしまうというスタイルをとっているからである。いうなれば読者を事実で圧倒して説得する方法であって、このようなスタイルで叙述されているかぎり、著者の主張が必ずしも一定の事実を根拠として展開されているわけではないので、個々の事例について反証しても有効な反論にはならない。(略)事実はまだ多数見つけ出すことができるからである。


 『戦後史の正体』についてもこのような指摘は当てはまるであろう。「対米追随」「自主路線」というラフな枠組みを通じて、ひたすらエピソードをちりばめることで本書は構成されている。評者は今回、森田の議論を意識して、個々の事実の指摘というよりも、この枠組みやその前提となるものを検討してみた。
 また、森田は同じ書評で、下記のような反論がこのような書籍に有効ではないかと指摘している。

このような論法の本書に対し、反論を試みることは容易ではないが、その一つの方法は、著者が豊富な例をあげて主張しようとしたことについて、事例を一々吟味して反論を試みるのではなく、むしろ著者が幅広く論じているにも関わらず、あえて論点として取り上げなかった点に注目してみることであろう。

 このような指摘は極めて重要であろう。本書が何を語っていないのか―あまりに語っていないことが多すぎるように思われるが―を合わせて検討することで、本当の「戦後史の正体」が明らかになるであろう。

引用文献

一九五五年体制の成立

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戦後日本の防衛政策―「吉田路線」をめぐる政治・外交・軍事

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「日米関係」とは何だったのか―占領期から冷戦終結後まで

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歴史としての日米安保条約――機密外交記録が明かす「密約」の虚実

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日米関係の構図―安保改定を検証する (NHKブックス)

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日米同盟の絆―安保条約と相互性の模索

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日中国交正常化の政治史

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日中国交正常化 - 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦 (中公新書)

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角栄失脚 歪められた真実 (ペーパーバックス)

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*1:特に著者はこのような表現を使っているわけではないが、以後議論を簡便にするため便宜的に使用する。

*2:佐藤晋「鳩山内閣と日米関係―防衛分担金削減問題と大蔵省」『法学政治学論究(慶應義塾大学)』33号(1997年);中北浩爾『1955年体制の成立』(東京大学出版会、2002年)、第4章。

*3:すでに旧聞の類に属するが、著者の議論は2000年代の構造改革を「アメリカの日本改造」と捉えた関岡英之の議論を想起させる。しかしながら、これは「全能の米国」を前提とした議論であり、内部からの(さまざまな動機を抱く)「協力者」がいることを忘却した議論である。関岡の主張に対して、構造協議以来「改革」を望んだ日本人が、助言や「振り付け」を米国に与えていたと吉崎達彦が反論をしている下記の鼎談はこの点について示唆的である。関岡英之松原隆一郎吉崎達彦「『ホリエモン株』の乱高下を嘲う」『諸君!』2006年4月号

*4:外交青書(1957年9月)』http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1957/s32-2-1-2.htm 当時の沖縄については適当な数字を把握できなかったため、割愛した。

*5:防衛省自衛隊ホームページ「在日米軍施設・区域(専用施設)面積 (平成24年3月31日現在)」http://www.mod.go.jp/j/approach/zaibeigun/us_sisetsu/sennyousisetumennseki.html

*6:NSC 5516/1 “Policy toward Japan” (April 9, 1955) http://history.state.gov/historicaldocuments/frus1955-57v23p1/d28 ;中島信吾『戦後日本の防衛政策―「吉田路線」をめぐる政治・外交・軍事』(慶應義塾大学出版会、2006年)、第5章。

*7:いささか意地の悪い指摘となるが、在日米軍の撤退があらゆる時期にゆずれない米国益の一線であるならば、米軍の「常時駐留」の否定(つまり在日米軍撤退)を掲げ、「有事駐留」を政策方針とした民社党をCIAが資金援助していたことを、著者はどのように説明するのだろうか。民社党へのCIAの資金供与はマイケル・シャラー(市川洋一訳)『「日米関係」とは何だったのか―占領期から冷戦終結後まで』(草思社、2004年)、第9章。

*8:岸信介岸信介回顧録保守合同と安保改定』(広済堂出版、1983年)第9章。岸の回顧録は『岸信介回顧録』の他に『岸信介の回想』『岸信介証言録』などもあるが、いずれも東南アジア外交の意図等、後付け的な説明(同時代的に全く違うことを言っている、あるいはそもそもそういった発言がない)が多く、証言のみで何かを語るのはリスキーであると思われる。この辺は岸のソツのなさを感じなくもない。

*9:波多野澄雄『歴史としての日米安保条約―機密外交記録が明かす「密約」の虚実』(岩波書店、2010年)、第4章;アメリカ局安全保障課長(東郷文彦)「日米相互協力及び安全保障条約交渉経緯(昭和35年6月)」『1960年1月の安保条約改定時の核持込みに関する「密約」問題関連』http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/taisho_bunsho.html

*10:原彬久『日米関係の構図―安保改定を検証する』(日本放送出版協会、1991年)、第5章;波多野『歴史としての日米安保条約』第4章;前掲「日米相互協力及び安全保障条約交渉経緯」。

*11:岸の「二段階」構想としては、むしろ坂元一哉などが論じる①旧安保条約の修正による不平等関係の是正、②憲法改正と本格的な相互防衛条約への発展が指摘されるが、「二段階」として安保と行政協定が語られるのは前代未聞であろう。坂元の指摘する「二段階」構想については、『日米同盟の絆―安保条約と相互性の模索』(有斐閣、2000年)、第4章。

*12:シャラー『「日米関係」とは何だったのか』、第5章;高松基之「チャイナ・ディファレンシャル緩和問題をめぐってのアイゼンハワー政権の対応」『国際政治』105号(1994年)。

*13:Memorandum of a Conversation Between Secretary of State Dulles and Prime Minister Kishi (June 20, 1957) http://history.state.gov/historicaldocuments/frus1955-57v23p1/d189

*14:池田政権期の日中関係と米国の反応については、井上正也『日中国交正常化の政治史』(名古屋大学出版会、2010年)、第4章;シャラー『「日米関係」とは何だったのか』、第9章。

*15:一般的には、ニクソン政権は田中に不満を持ちながらも、それを追認するほかなかったと言われる。井上『日中国交正常化の政治史』第8章; 服部龍二日中国交正常化田中角栄大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)、第4章。

*16:この田原の主張の根拠が極めてファジーであることについては、徳本栄一郎『角栄失脚―歪められた真実』が十分な検討を行っている。同書は孫崎が取り上げているロッキード事件の「俗説」についても多方面から検証を行っており、一読に値する。徳本栄一郎『角栄失脚―歪められた真実』(光文社、2004年)

*17:ニクソン政権のブラント観については、ヘンリー・キッシンジャー岡崎久彦監訳)『外交(下)』(日本経済新聞社、1994年)第29章。もっともギョーム事件がCIAの陰謀であったと著者がするならば、このような見解はつじつまがあうだろう。

*18:森田朗「書評『日本/権力構造の謎』」『法学論集(千葉大学)』5巻2号(1991年)