中川八洋先生の学位論文を捜せ

中川八洋先生といえば名にし負う学界の狂犬であり、筑波大学を定年でご退職された後も独自の保守主義をひっさげ、皇室論、民主党論、TPP論、原発論と元気いっぱいご活躍されている。

90年代以降の中川先生の議論というのは色々と興味深いところもあり、反動を自認する自分としては、特に先生の論じる日本の伝統的保守と英米流(というかバーク的な)保守を継ぎ合わせたキメラ的な保守主義は、日本における持続可能な反動への道を考える点でいろいろ参考にはなるとは思っている(どっちかと言うと反面教師というところが圧倒的だが)。

さはさりながら、中川先生に関して、ずっと気になっていることがある。中川先生の最終学歴である。中川先生の略歴については、Wikipediaの記述はいろいろな書籍情報の最大公約数というところだろう。

1967年東京大学工学部航空学科宇宙工学コース卒業。スタンフォード大学政治学科大学院修了。科学技術庁勤務の後、1980年筑波大学助教授、1987年筑波大学教授、2008年3月定年退官、名誉教授。

気になるのはこの「スタンフォード大学政治学科大学院」の部分である。いぜんWikipediaの「ノート」でもこの点が議論になっている。

『(学位未取得?)』と、クエスチョン・マークを付けるような、不正確な情報は、ウィキペディアに書かれるべきではないと思って、削除致しました。学位の取得・未取得の確認ができたら、加筆して下さい。

学位未取得だとしたら、"Japan, the Welfare Super-Power," をスタンフォード大学に提出しなかったのでしょうか?――以上の署名の無いコメントは、124.210.82.221(ノート/Whois)さんが 2006-07-24T21:29:04 (UTC) に投稿したものです。

修士号も博士号もないのに教授になれるんですか? 筑波も落ちたものだと言わざるを得ない。――以上の署名の無いコメントは、220.157.207.140(ノート/Whois)さんが 2007-05-08T14:41:40 (UTC) に投稿したものです。

中川先生はスタンフォードでいかなる学位を取られたのか、いまいちよくわからないのである。政治学科(Department of Political Science、普通は政治学部か)では修士を終えられたのだろうか。それとも博士を終えられたのだろうか。あいにくのところ、筑波大学では退職記念特集の紀要などが出ていない。ふつうはそこで履歴書レベルの経歴をチェックできるのだが、それが無理である以上別の手段をとるほかない。

わからないからスタンフォードで調べてみよう

わからないなら調べるに限る。スタンフォード大学図書館サイトはわりと充実していて、Catalogを検索し、Thesis(学位論文)のカテゴリで絞り込むと、修士(M.A.等)や博士(Ph.D.)の学位論文が検索できる。

しかしながら、"Nakagawa Yatsuhiro"の名前で検索をしても、ヒットするのは筑波着任後の著作ばかり。スタンフォードもよくこんな本買うな、とは思うのだが、本筋であるところのThesisでヒットする文献はない。"Yatsuhiro"が食わせものなのかもしれないと"Nakagawa"だけで検索しても、そこでヒットするのは、Nakagawa Wataru(1996:Honor Thesis)(リンク)、Nakagawa, Kent Hisao(1996:Ph.D. Thesis)(リンク)、Victoria Vernon Nakagawa(1981:Ph.D. Thesis)(リンク)の三件だけである。

中川先生はスタンフォードで学位を取っていないのではないか…という疑問がふつふつと沸いてくる。

スタンフォードで学位をとった人を調べよう

しかしながら決めつけるのはよろしくない。スタンフォード側がすべての学位論文を管理できていないのかもしれない。

スタンフォードの大学院で学位を取得している人、がどういう状況であるかをチェックしてみた。手抜き調査、もといランダムサンプリングを目指すということで、日英のWikipediaを「スタンフォード 大学院」などで検索し、適当にピックアップする。1945年生まれの中川先生の前後に網を投げるような形で人選をする。すると下記のような人たちがヒットする。結果やいかに。
*以降多数の人名が出るなか、一人だけ、あるいは全員に先生をつけるのもなんなので「中川」と表記する。

マーク・ハットフィールド(Mark Odom Hatfield):1922年生、政治学修士課程修了(1948年)
ロバート・ビュートー(Robert J. C.Butow):1924年生、歴史学部修士課程(1948年)・博士課程修了(1952年)
石井一:1934年生、政治学修士課程修了(1960年)
カレヴィ・ホルスティ(Kalevi J. Holsti):1935年生、博士課程修了(学部・時期不明)
高木誠一郎:1943年生、政治学修士課程(時期不明)・博士課程修了(1977年)
ハリー・ハーディング(Harry Harding):1946年生、政治学修士課程(1969年)・博士課程修了(1974年)
奥野正寛:1946年生、経済学部博士課程修了(1974年)
鳩山由紀夫:1947年生、博士課程修了(1976年・学部不明)
太田述正:1949年生、政治学修士課程修了(1976年)
浦田秀次郎:1950年生、経済学部修士課程(1976年)、博士課程修了(1978年)
ジェームス・クロッペンバーグ(James T. Kloppenberg):1951年生、歴史学部修士課程(1976年)・博士課程修了(1980年)

意外とヒットしないスタンフォード学位論文

さて、結論を先にいえば、上記のメンバーの学位論文全てがヒットしたわけではない、という結果になった。
一覧は下記のとおりである。

ハットフィールド:学部不明の修士論文あり(リンク
ビュートー:学部不明の修士論文リンク)、歴史学部の博士論文あり(リンク
石井:政治学部の修士論文あり(リンク
ホルスティ:政治学部の修士論文リンク)、博士論文あり(リンク
高木:修士論文ヒットなし政治学部の博士論文あり(リンク
ハーディング:修士論文ヒットなし政治学部の博士論文あり(リンク
奥野:経済学部の博士論文あり(リンク
鳩山:OR学部の博士論文あり(リンク
太田:修士論文ヒットなし
浦田:修士論文ヒットなし、経済学部の博士論文あり(リンク
クロッペンバーグ:修士論文ヒットなし、学部不明の博士論文あり(リンク

石井(1934年生/1960年学位取得)、ホルスティ(1935年生/1958年学位取得)の修士論文はヒットしているのだが、それ以降の世代、特に中川とほぼ同世代といってよい高木(1943年生)、ハーディング(1946年生)あたりから修士論文がヒットしない。ハーディングについては現在の所属校のサイトなどで修士の取得校を明記しているものを見つけられなかったが、高木(リンク)、浦田(リンク)、クロッペンバーグ(リンク)はそれぞれ公的な紹介の場で修士学位をスタンフォードで取得したことを明記している。

もしかして:修士論文は保管しなくなった?

一人ならばともかく、これだけの面々が揃いもそろって修士論文がヒットせず、しかも三人とも嘘をつくとも思えない。推定レベルで考えられるのは、1970年前後(1969年修了のハーディングの頃)から修士論文を保管しなくなった…というあたりだろうか。

そこで、Google検索で適当に「スタンフォード 修士」で検索し、年代を下ってさらに二人検索してみる。下記の二人にした。
イアン・ブレマー(Ian Bremmer):1969年生、政治学修士課程修了(時期不明)、博士課程修了(1994年)
フィリップ・ガーランド(Philip Garland):年齢不明(このサイトを見たら若そうだった)、政治学修士課程修了(時期不明)、コミュニケーション学部博士課程修了(時期不明)

結果は下記のとおり
ブレマー:修士論文ヒットなし政治学部の博士論文あり(リンク
ガーランド:修士論文ヒットなし、コミュニケーション学部の博士論文あり(リンク

こちらの若手二人も修士論文がヒットしなかった。特にガーランドは2008年に博士学位を取得しているのだから、修士もそんなに昔に取得したわけではなさそうだ(もしかしたら課程博士でない、という可能性も否定はできないがさすがに勘ぐりすぎだろう)。それでも修士論文がヒットしないのである。

中川先生の学位論文の話に戻ろう

上記を踏まえたうえで、中川の学位の話に戻りたい。先般のWikipediaの記述を丸のみするなら、中川は1967年に東京大学を卒業後、スタンフォードに進学し、その後科学技術庁を経て1980年から筑波大学助教授を務めている。科学技術庁の入庁年度がわからないが(『日本官僚制総合事典』はこういうとき猛威を発揮するのだろうが、あいにく手元にない…)、少なくとも1960年代末から70年代にスタンフォードで大学院生生活を送ったということになるのだろう。この時期は上記のメンバーで修士論文の記録が見当たらない時期と合致する。

一方でこの時期でも、博士論文についてはきちんと保管がなされていることは、奥野、ハーディング、高木らのデータから確認することができる。

これらを踏まえると、中川は
1) 政治学修士号を取得した
2) あるいは詐称している
のどちらかになるのだと思われる。

しかしまあいかんせん傍証しかない。今回の中川の一件でそれよりも何よりも気になったのは修士論文の記録をスタンフォード大学図書館がやめているかもしれない、というところである(いや、ただ他の北米のメジャーどころの大学のOPACでも、修士論文がヒットするのは珍しい例ではあるのだが)。適当に流し見した限りでは、この辺の経緯に関する記述をスタンフォード大学のサイトから発見できなかったが、見落としがあるのかもしれない。中川の学位以上に気になる点ではある。

ということで、中川八洋の取得した学位についての情報、引き続き募集中です。