2016年の本

 あっという間にまた一年が終わる。今年は読書メーターを利用することでまともな読書記録をつけるようにしたのだが、どうも80冊弱本を読んでいたことがわかった。例年こうした記録をとっていないので明確な比較の基準がないが、新書の類をほとんど読んでいないことに気づかされる。それにしてもこうしたサービスを使うと、あれも読んでいないしこれも読みかけで終わった、などというものが山のようになっていることに気づき憂鬱になる部分もあった。これからもそうしたぼやきを重ねながら歳を取ることになりそうである。

 今年読み終えた本を対象として、印象に残った本を整理した。昨年同様、ある程度のまとまりをもって整理したつもりである。おおむね今年出た本が対象となった。去年出た本はうずたかく積まれたまま。恐ろしいことである。

■外交史
 わたし自身が強い関心を持っている外交史研究で、特に印象に残ったのは宮下雄一郎『フランス再興と国際秩序の構想』、中谷直司『強いアメリカと弱いアメリカの狭間で』、佐橋亮『共存の模索』の三作だった。なかでも前二作は、政治外交史という手法であればこそなし得た研究であろうという印象を強く受けた。

宮下雄一郎『フランス再興と国際秩序の構想―第二次世界大戦期の政治と外交』(勁草書房)
 本書は1940年のフランス第三共和制の敗北後、シャルル・ド・ゴールと自由フランスという政治勢力が、「フランス」を継承していると自称した、あるいは見なされた様々な勢力との抗争の中で、どのようにして正統な「フランス」という地位を獲得したのか、更に来るべき戦後世界でいかなる国際的地位を獲得しようともがいたかを描いた、危機の時代のフランス外交史研究である。

 本書におけるド・ゴールの姿には、「政治の芸術家」というスタンレイ・ホフマンド・ゴール評を想起せざるを得ない。ド・ゴールは、政治に影響を与える様々なファクター ―正統性、力、制度や組織、リーダーシップ、更に時間など― を織り込みながら、見事にライバルたちに勝利し、当初は怪しげな亡命勢力に過ぎなかった自由フランスに確固たる政治的地位を与えることに成功する。著者はド・ゴールだけでなくジロー、ダルランといったライバルたち、そしてジャン・モネやルネ・マシグリといった人物たちの一挙手一投足を、なるほどと唸らされるような政治学的な洞察を散りばめながら、力強い筆致で描いていく。

 そして書名のとおり、本書はド・ゴールの権力の確立だけでなく、「フランス」がどのような戦後国際秩序を構想したかを描く。ド・ゴールやモネらの戦時中に検討した構想の中で、後世の人間がフォーカスしたのは、西ヨーロッパ諸国統合の構想だった。これは欧州統合が戦後現実のものとなっていった事実を踏まえて、その後に続く重要な萌芽となったのだと理解されてきた。しかしながら、著者は彼らの構想が戦時下という特殊な状況で作られたものであったこと、そしてそれはより大きな戦後国際秩序構想と重ねて考えるべきだと注意を喚起する。著者によれば、「フランス」の戦後国際秩序構想における中心的課題は「ドイツ対策」であり、西ヨーロッパ統合はそれを解決するためのオプションの一つであった。

 米英両国の手によって、国際連合を中心とする戦後国際秩序構想が固められていく中で、また戦後の欧州において間違いなく発言権を増すことが予期されたソ連との関係を模索していく中で、「フランス」は戦後国際秩序に適当な地位を獲得すること、ドイツ対策という政策課題との整合性を確保することを優先する。結果仏ソ間には対独同盟としての軍事同盟が成立し、また国連憲章には「自衛権」概念を挿入することに成功する。「フランス」は、何とか自国の安全保障を満たす外交的成果を得ることができた。しかしそのためには、彼らが構想していたいくつかのオプションを諦めなければならなかったし、西ヨーロッパ統合構想はそうやって諦められたものの一つであった。彼らの統合構想はのちの欧州統合に続くものではなく、一代で断絶した構想として歴史に姿をとどめるものであった。いずれは終焉を迎える戦時期という時間的制約の中で、更に国力の限界の中で、「フランス」は苦渋の選択を下さざるを得なかったことを、著者は広い国際政治史の文脈を再現することでほろ苦く描いている。

 さて、本書の魅力を伝えるのであれば、その文体にも触れないことにはいかない。著者の筆は人物を語るに雄弁で、事実を述べるに劇的である。「学問的禁欲」という言葉が通常イメージさせるようなものとは程遠いとさえいえるだろう。しかし、同時にその文体は決して過剰でも放埓でもない。まさにこうした歴史叙述をなすにあたっては、それが必要であるからこそそうしているのだろう、と読者を十分納得させるようなものがそこにはある。また脚注、索引などを合わせておよそ500ページに及ぶ本書の内容は濃密だが、冗長な部分があると感じさせる部分はない。読者は本書を読み終えたあと、その内容が細密でありながら、無駄なものが徹底的にそぎ落とされたものであることに気づくのである。

 本書は歴史、政治、人物、そうしたものへの洞察に溢れ、また同時に魅力的な歴史ドラマでもあるという、稀有の学術書であるといえるだろう。簡単に論旨を説明するつもりが書きすぎてしまったが、後悔の念はない。本書を今回のエントリの筆頭に置くのもまた必然であったと思う。

中谷直司『強いアメリカと弱いアメリカの狭間で―第一次世界大戦後の東アジア秩序をめぐる日米英関係』(千倉書房)
 本書もまた、政治外交史という手法であるからこそ可能な「外交の瞬間」を描き出した著作である。本書がその検討の対象とするのは、第一次世界大戦後、1919年に開催されたパリ講和会議ヴェルサイユ会議)から1922年に閉幕するワシントン会議までの間に、東アジアの列強である日英米三か国の外交政策がどのように収斂していったのかの試行錯誤のプロセスである。

 従来この三国間関係は、中国に対する政策をめぐり、かたや門戸開放の「新外交」を求めるアメリカ、かたや自国が既に大陸に確保している権益を維持可能な国際秩序(著者はこれを「勢力圏外交秩序」と表現する)を支持する日英が相容れない関係にあって対立していたが、しかしながらそれがワシントン会議に至り、ようやくその秩序観を調和させ、真の大国間協調に達したと描かれてきた。

 しかし著者はワシントン会議より以前から、既に日英も旧来の勢力圏外交秩序を維持していくことが困難であることを認識し、「新外交」への接近を進めており、三国の秩序観は協調可能なものに変容していたこと、一方でそうした変容を相互には理解するに至っていなかったことを明らかにしていく。パリ講和会議、新四国借款団結成交渉など、中国問題について折衝を繰り返した三国は、トライ・アンド・エラーによって、折衝上の障害(満蒙権益の事実上の除外など)に合意し、また相互の秩序観についての誤解を取り除いていった。著者によれば、ワシントン会議の成果は劇的な関係国の政策転換によってもたらされたものではなく、既にそれまでに起きていた変容を相互に確認できたことでもたらされた、とでも理解すべきものなのである。

 こうした歴史叙述の中で、著者は注目すべき指摘を行なう。まず、日本政府は既に、パリ講和会議の時点において、勢力圏外交秩序からの知られざる「脱却」を果たしていたこと。そして、日米英の三国が協調関係を形成するには、アメリカが明白な形で(かつ夜郎自大ではない形で)東アジアの国際政治にコミットする必要があったこと、そしてアメリカがそうした意志を真に有していることを、第三の当事国である英国が認識できるようになることこそが決定的要因であった強調しているのである(これが標題の「強いアメリカ」「弱いアメリカ」に繋がる)。

 著者はそのプロセスを実に魅力的に描く。「勢力圏」の解体を提唱するウィルソン主義を逆手にとり、ある意味行きづまり状態にあった自国の勢力圏を脱して、外交的地平の拡大を模索した日本の外務官僚たち、交渉のさなか、本国からの訓令の微妙なニュアンスの変化から空気の変化を察知し、独断的提案を行なった交渉者たち、疑心暗鬼の関係にある三つの政府同士が、相互の交渉の積み重ねの中で変心し、結束したり離反したりする様子といった、まさに一筋縄ではいかない外交の瞬間を本書は描き出している。入江昭、三谷太一郎、細谷千博、麻田貞雄、佐藤誠三郎と、大家の業績がずらりと並ぶこの時期の外交史研究に新風を吹き込む研究であったといえるだろう。

佐橋亮『共存の模索―アメリカと「二つの中国」の冷戦史』(勁草書房)
 この項最後の佐橋本は、前二者が比較的短期間の外交を、濃密に、内在的に描くのとは少し立場を異にする。国際政治理論にも目配りをしつつ、トルーマン政権からカーター政権までの長期の米国の対中・対台湾政策史を描く本書は、核時代という危険な時代に、同盟国である中華民国(台湾)の信頼を獲得しながら、同時に共産中国との決定的な対立を回避し、共存を目指す米国外交の一つの「型」とでもいうべきものをシャープに析出している。中国の隣国である同盟国民としては、米中という大国間関係運営の容易ならざるものと、その狭間の同盟国はどのようにあるべきか、という今日的な示唆を得るところも少なくない一冊といえるだろう。装丁の美しさも印象的である。

共存の模索: アメリカと「二つの中国」の冷戦史

共存の模索: アメリカと「二つの中国」の冷戦史

■戦後日本外交
 昨年2015年9月には平和安保法制が国会で成立、16年3月には施行された。2014年7月の集団的自衛権行使の憲法解釈変更に続く、安全保障政策のドラマティックな「転換」を受けてか、今年は冷戦以後の日本外交を、特に安全保障の側面から問い直す優れた著作が次々と発表された。ここで取り上げたいのは、添谷芳秀『安全保障を問いなおす―「九条-安保体制」を越えて』、篠田英朗『集団的自衛権の思想史』と、白石隆『海洋アジアvs.大陸アジア』、野添文彬『沖縄返還後の日米安保』、宮城大蔵・渡辺豪『普天間・辺野古 歪められた二〇年』、最後に宮城大蔵『現代日本外交史』である。

添谷芳秀『安全保障を問いなおす―「九条-安保体制」を越えて』(NHK出版)
篠田英朗『集団的自衛権の思想史』(風行社)
 添谷は日本外交の専門家、篠田は平和構築の専門家と異なった学問的背景を持ちながら、二人の著作は、同じ問題を異なった視点から論じている。日本国憲法九条と日米安保条約の組み合わさったことによって形成されたユニークな日本の安全保障政策、添谷の言葉を使えば、「九条-安保体制」、篠田の言葉を使えば「戦後日本の国家体制」の磁力と、それがもたらす国際協調主義の衰退である。

 全く異なる国際環境の下で生まれた憲法九条と日米安保条約が組み合わさったことで作られたこの「体制」は、改憲と明示的な軍備強化を求める「右」も、その逆を求める「左」をも退け、冷戦期の日本外交を「見えざる手」として拘束した。この体制の下でうやむやの内に採用され、やがてある程度自覚的に選択されるようになった軽軍備・経済重視などと称される政治路線は、戦後日本に経済的繁栄をもたらす。しかしこの路線も、冷戦の終焉と、湾岸戦争の衝撃によって動揺することとなる。

 添谷は冷戦後、こうした国際環境の変容に対応するため、国際平和維持活動(PKO)に積極的に参画し、ASEAN地域フォーラム(ARF)やASEAN+3などを通じ、アジア太平洋地域の秩序形成にも積極的に参画するようなった90年代の日本外交を「国際主義」の覚醒期として描く。しかしながらこうした国際主義的な日本外交は、中国・韓国・北朝鮮といった隣国との外交上の摩擦が激化する中で、自国の安全保障以外を考慮せず、思想的にも保守化・右傾化し、改憲を求める「自国主義」にハイジャックされた。添谷によれば平和安保法制はそうした文脈の中で生まれたものだったが、「九条-安保体制」の磁場はなお強く、結局平和安保法制は骨抜きされ、「体制」の枠内にとどまるものとなった。

 一方、篠田は同じ「体制」について、憲法との関係から接近する。篠田は憲法上に明記されていない「自衛権」の担い手、「立憲主義」、「最低限の自衛」といった概念、さらに日本国憲法日米安保条約の関係を、憲法学者たちがどのように論じてきたかを詳述し、昨今の安全保障政策をめぐる政局の中でも金科玉条のように扱われてきた憲法学者たちの法理の実際を暴き出す。

 そして主流派の憲法学者たちが「八月革命」説によってアメリカによって主導された憲法制定プロセスの実際を、「必要にして最小限の自衛」としての自衛隊と個別的自衛権を容認しつつ、実際の安全保障の少なからぬ部分を日米の安全保障条約に(つまり米軍に)依存しているという構造を、それぞれ覆い隠してきたと指摘する。篠田によれば日本政府が依拠してきた内閣法制局自衛権に関する法理も、こうした憲法学者たちの議論によって理論的に下支えされたものであった。1972年の個別的自衛権のみの行使を認める政府見解も「内向き」であることが米国に容認される冷戦下の国際環境下で形成されたものだった。

 篠田によれば、冷戦を背景にして日米が協調を築けていた以上、冷戦終結後にこの路線が動揺することは必然だった。そして日本外交は対米従属へと傾斜したと篠田は論じる。2000年代以後、「有志連合」としての自衛隊派遣が優先されPKOへの自衛隊派遣が停滞した事実を指摘して、結局こうした国際貢献もまた対米協調の中の文脈にあったのだと指摘している。2014年の集団的自衛権行使の解釈変更においても、1972年見解の法理は生き続けた。それは対米従属を所与の前提として、自国防衛のオプションとして、ごく限定的な集団的自衛権行使を容認したものであると、篠田は論じ、日本の「体制」は何も変わらなかったと嘆じる。

 二人の著書は全く違う経路をたどりながら、同じ結論に至る。憲法九条と日米安保体制によって構成された「体制」の強固さ、その体制の中で成立した平和安保法制の看板にそぐわない「内向き」な性質とおよそ「普通の国」とは程遠い「穏健さ」、またこうした「体制」が惰性によって続くことがもたらす外交・安全保障政策の弛緩、ひいては日本政治そのものの弛緩である。二人はいずれも真の国際協調主義に基づいた外交政策を展開すべきことを訴えるが、自ら認めているように、こうした主張は今の日本では支持者の少ない、なんともか細い声である。二人の訴え、そして両者に共通する熱を帯びた文体は、湾岸戦争への日本政府と日本社会の反応に危機感を募らせ、改憲の必要性を訴えるようになった高坂正堯の姿を思い出す部分さえあった。相補的な、知的刺激に満ちた二冊といえるだろう。

 ただあえてこの二冊に優劣をつけるなら、かなりキワモノめいた文献を参照しつつ日本外交を描き、また憲法学者のあり方を「暴露」したことで本旨と無関係にインターネットで俗受けした感さえある篠田の本より、わたしは添谷の本をより推奨したいと考える。篠田が「体制」とアメリカとの関係(というよりも日本の対米感覚だろうか)に焦点を当て、悲憤慷慨して終わるのに対し、添谷はこうした「体制」への無自覚を嘆きながらも、オーストラリア、韓国、ASEANといった周辺諸国との政策協調を「自国主義」を鮮明にせず進めることで、「自国主義」者たちが警戒する大国・中国との関係をヘッジし、外交的地平を拡大できることを説いている。

 確かに添谷は「体制」を超克し、未来志向の国際主義的な改憲を提唱しており、上記の政策協調も実はそうした中で実施すべきだと論じられている。しかし、少し引いて考えれば、これは「体制」のありかたに自覚的であれば、その枠内でも(つまり現状の中でも)不可能ではない外交政策といえるだろう。改憲が必要となる「体制」の解体以前に、日本外交にはやるべきことが多々残っているということを指摘している点で、「体制」の中でも日本外交は変わりうることを示唆している点で、添谷の本にわたしはより豊かな可能性を感じた*1

安全保障を問いなおす 「九条-安保体制」を越えて (NHKブックス)

安全保障を問いなおす 「九条-安保体制」を越えて (NHKブックス)

集団的自衛権の思想史──憲法九条と日米安保 (風のビブリオ)

集団的自衛権の思想史──憲法九条と日米安保 (風のビブリオ)

白石隆『海洋アジアvs.大陸アジア―日本の国家戦略を考える』(ミネルヴァ書房)
中山俊宏「『衰退するアメリカ』のしぶとさ――日米同盟を『再選択』する」杉田敦編『岩波講座現代(4)グローバル化のなかの政治』(岩波書店)
 さて、添谷の議論のように、アメリカ一国のみならず地域に目配りし、その中での日本の立ち位置を考えるという点で、インド太平洋地域の現状をダイナミックに描く白石の著書は極めて示唆に富んでいた。「陸のアジア」であるインドシナ半島において、国境を越え、南北を縦断する中国主導のインフラ投資、あるいは東西を縦断する日本主導のインフラ投資は、いかなる変容をもたらしているのか。かたや「海洋のアジア」であるフィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポールはどのような状況にあるのか。紋切り型ではない、本来的な意味での「地政学」を考える点でも、またルールの強制はできないが、ルールの形成には影響を与えうる「大国」として、日本はどのように行動するべきなのかを考える点でも示唆に富んでいる。こうした点では、論文集の中の一本であるが、日米両国のグローバルな立ち位置を踏まえて、近年の動きを日米同盟の「再選択」と表現した中山の論文もまた合わせて読む価値がある、興味深いものだった。

野添文彬『沖縄返還後の日米安保―米軍基地をめぐる相克』(吉川弘文館)
宮城大蔵・渡辺豪『普天間・辺野古 歪められた二〇年』(集英社新書)
 今年も(不幸なことに)沖縄の米軍基地をめぐる議論はやむことがなかった。普天間基地の返還合意から20年を経て、もはや泥沼の状態と化した感さえある基地問題だが、その歴史的な曲折を踏まえずに論じることは危険だろう。従来、森本敏普天間の謎―基地返還問題迷走15年の総て』(海竜社、2010年)がまず参照されるべき一冊だとわたしは考えていたが、それをよい形で更新するような著作が今年は多数発表された(上記の他に50年代から現代までを扱った屋良朝博・川名晋史・齊藤孝祐・野添文彬・山本章子『沖縄と海兵隊―駐留の歴史的展開』旬報社も価値のある論文集だった)。

 野添は冷戦下、沖縄返還前後から80年代に至る時期を、宮城・渡辺は普天間合意以後から現在に至るまでを、それぞれ描いている。取り扱う時期も、書籍としての形態も違う両者の特色をあえて比較するならば、野添は日本政府・米国・沖縄という関係がもたらす、構造的なものを、宮城・渡辺はある種「アクシデント」の連なりとしてこの問題を描くことに力点をおいている。事象を把握するに際しては、いずれも忘れることはできない視点であろう。

沖縄返還後の日米安保: 米軍基地をめぐる相克

沖縄返還後の日米安保: 米軍基地をめぐる相克

普天間・辺野古 歪められた二〇年 (集英社新書 831A)

普天間・辺野古 歪められた二〇年 (集英社新書 831A)

宮城大蔵『現代日本外交史―冷戦後の模索、首相たちの決断』 (中公新書)
 この項の最後に取り上げたいのは、冷戦以後の25年を描いた『現代日本外交史』である。読みやすく、また明瞭に歴史を描いた本書を通読して、日本外交がこの25年の間に、いかに様変わりしたのかと、ある種のノスタルジーに浸らざるを得なかった。また国内政治にも目配りをした本書は、安全保障政策こそが日本政治の中で焦点となり、政党連立の組み替えを促進したという興味深い視点を提示している。沖縄問題同様、近視眼的にならず、日本外交を改めて再考する価値を持つ一冊といえるだろう。

■伝記・手記
河西秀哉『明仁天皇と戦後日本』(洋泉社新書y)
山崎拓『YKK秘録』(講談社)
アンドリュー・クレピネヴィッチ/バリー・ワッツ(北川知子訳)『帝国の参謀―アンドリュー・マーシャルと米国の軍事戦略』(日経BP社)
 人物に焦点を当てた本として、脈絡のない三冊をまとめてみた。『明仁天皇と戦後日本』は、まさに渦中の人である今上天皇という存在がどのように形成され、また日本社会と日本国民がどのように今上天皇の「人となり」を見出してきたのかを描いた、小著ながら示唆に富む評伝である。

 「平成流」とも評される固定的なイメージで天皇を捉えるのではなく、今上天皇ご自身の成長はもとより、社会の関心の移り変わりが象徴天皇のある側面を捉え、メディアによって増幅していくという関係を描き出しており興味深い。

 『YKK秘録』はいわずと知られた山崎拓・元自民党副総裁の議員手帳の日記的記述を元に構成された手記である。短くまとめてしまうなら、「生々しい政治家の姿を見ることができる」といったところだろうが、YKKの結成から山崎の落選(2003年)までの十数年が描かれることで、山崎拓加藤紘一小泉純一郎という中堅政治家が要職を歴任し、大政治家へと変貌していく(変貌させられていく)様子を知ることができるのが本書最大の魅力であるといえよう。微細なディティールの積み重ねを、十数年分通時的に読むことで匂い立つものがそこにはある。くだらないエピソードも非常に多く、興の尽きない一冊である。

 『帝国の参謀』は70年代から実に40年あまり、米国防総省アメリカの長期戦略を考え続けた伝説の人物の評伝である。シンクタンクランド研究所から行政府に転じたマーシャルは、冷戦期にはソ連との長期的競争に勝利するために、冷戦後は米国の優越を維持するために、何よりも適切な「診断」をなすべく、彼我の国力、政策選好、長期トレンドを把握するネットアセスメント室を主宰した。

 国防総省にはすでにシステム分析などの手法が持ち込まれていたが、一方でその種の手法が組織の持つ選好や、限定合理性を軽視することに懐疑的だったマーシャルは、同じような疑問を抱いた国防長官ジェームズ・シュレジンジャーの後ろ盾を得て、ネットアセスメントの歩みを少しずつ始めていく。幸運なことにマーシャルはシュレジンジャーだけでなく、後任であるドナルド・ラムズフェルド、ハロルド・ブラウンといった国防長官たちにも仕事の価値を認められ、ネットアセスメントは徐々に成熟し、マーシャルの薫陶を受けた人材は行政府や軍、学界に広がることとなる。

 マーシャル自身は「診断」の人であることに努め、採用すべき政策を提言する人間ではなかったが、こうした人的つながりを資産としてマーシャルの診断は実際の政策に反映されていくこととなる。それがソ連の弱点や政策選好を突き、無用な出費を拡大させる「競争戦略」であり、冷戦後の「軍事革命」と称されるイノベーションの模索であり、今日の「エア・シー・バトル」だった。

 アメリカと相手の実勢を把握し、更に双方の「癖」をつかみ、その真の実力を見極め、長期的なトレンドを予測する。マーシャルの「ネットアセスメント」には定まった手法はなく、ただ目的だけがある。しかも考えてみれば極めて普通のことを知ろうとしているだけである。ネット(全体)のアセスメントとはよく言ったもので、こうした手法に必要なのは本当に旺盛な知的関心と、判断の指標としての常識であろう。

 本書ではこうした融通無碍なネットアセスメントと、システム分析などに代表される還元主義との対比が繰り返し描かれている。マーシャルの弟子たちが書いた本書で強調される、還元主義への疑義と、生態学的ともいえる分析へのこだわりは、政治学の還元主義的な分析を厳しく批判する冷戦史家ジョン・ギャディスの歴史理論書『歴史の風景』を想起させるものがあった。

 一方でこのような手法が内包する問題は、時として固定的な「常識」による診断を始めてしまうということにあるだろう。マーシャルの偉大な点は、そうしたものを常に意識的に刷新し続けたことにあるように感じられる。著者たちは本書を「知の伝記」と述べているが、同時に本書は偉大な常識人の伝記であるといえよう。

明仁天皇と戦後日本 (歴史新書y)

明仁天皇と戦後日本 (歴史新書y)

YKK秘録

YKK秘録

帝国の参謀 アンドリュー・マーシャルと米国の軍事戦 略

帝国の参謀 アンドリュー・マーシャルと米国の軍事戦 略

■最後に
伊奈久喜『外交プロに学ぶ 修羅場の交渉術』(新潮新書)
 最後に取り上げたいのは外交に精通したジャーナリストとして知られ、今年4月に亡くなった伊奈久喜の著作である。伊奈は新聞・雑誌といった媒体での活躍のほかに、外務事務次官・駐米大使を歴任した東郷文彦の評伝『戦後日米交渉を担った男』(中央公論新社、2011年)と、『外交プロに学ぶ 修羅場の交渉術』(新潮新書、2012年)を残したが、ここでは言及されることが少ない後者を取り上げる。

 本書はその題名からもわかるとおり、ハウツー本として出版されたものである。「交渉のプロ」である外交官たちの営みが、どのようにビジネスの現場にも適用できるのかという体で、外交の現場で使われる交渉テクニックなどを論じたものだ。率直に言って、本書の企図はあまり成功しているようには見えない。文中に登場する、「これをビジネスシーンに応用すれば…」といった記述は、バリバリの職業軍人(元陸将補)で軍事関係の著作を多数出版した松村劭の本で、同じようなぎこちない記述に出くわした時のような居心地の悪さを感じた。Amazon等での決して高いとはいえない評価は、それを裏付けているともいえよう。

 伊奈の死を機に本書を久しぶりに読み返したが、本書をビジネス書ではなく、外交交渉の実際を理解するための本として読むなら、その評価は多少変わるだろう。本書では、著者自身が取材した、あるいは書籍や報道を通じて知った様々な外交に関するエピソードが散りばめられている(ちょっと見当違いかな?というものがあるのはあらかじめお断りしておく)。

 本書で伊奈が説明する、交渉がうまく行かなかった際に、「決裂」でなく「潜在的合意はあった」と宣言することの意義、外交交渉が原理原則論をぶつけ合う段階から、徐々に合意に向けたものへと変貌する様子などは、外交史研究や、報道を読んでいてもこれか、と気づかされる点が多々あった。また「逆説をあえて使う」「用心深い楽観論」といった思考方法も、さほど驚くものではないが、明示されることでそうしたものがどういう形で登場するのか、教えられる部分は大きかった。まさに外交の機微とも言うべきものを描いているという点で、本書は外交ジャーナリスト・伊奈らしい著作であったと思う。

 わたしは日経新聞の日曜版「風見鶏」欄で、伊奈が書くコラムを楽しみにしている一ファンだった。伊奈の文章は外交をめぐる戦略を、交渉を、人事を自在に論じて常に意表を衝かれるものがあった。『外交プロに学ぶ 修羅場の交渉術』を読み返しながら、伊奈の書いた文章がもう読めなくなることを、ひどく寂しいと感じる年の暮れであった。

外交プロに学ぶ 修羅場の交渉術(新潮新書)

外交プロに学ぶ 修羅場の交渉術(新潮新書)

*1:なお、篠田の著書で論じられている立憲主義の「本来の意味」については、Twitterでいくつか興味深い指摘をいただいた。下記リンクを参照。http://bit.ly/2hYT07Bhttp://bit.ly/2hdi7SOhttp://bit.ly/2hgsuar、hhttp://bit.ly/2hghGJbhttp://bit.ly/2ijkVMa